core



彼女は高校でも、付属の大学へ行ってからも綺麗で可愛いことで有名だった。
容姿だけでなく、性格からもみんなに好かれていた彼女。
僕はそんな彼女と高校の時に同じクラスになったことがあるだけで、それ以外特別な接点はなかった。そして接点を持つために必要な勇気もなかった。


それでも世の中、どこで何が起こるか分からない。僕は今、彼女、守山聖美(もりやまさとみ)と付き合っている。しかしながら、どうして彼女が僕と一緒にいたいのかが未だに分からない。



僕の仕事はとあるメーカーのメンテナンスマン。ま、端的に言えばコピー機修理屋さん。そんな僕が彼女と偶然再会したのは、担当エリア替えがあった直後。修理に呼ばれた先。

申し訳ないけれど、はっきり言って最初は彼女に気づかなかった。けれど彼女は微笑みながら、『偶然ね、久しぶり。』と声を掛けてきた。

偶然は僕の日常に劇的な変化をもたらした。彼女は壊れていもしないのに、偶然の再会の数日後メンテナンス依頼を。そして、メンテナンス終了のサインは先にするからランチへ行こうと確信犯の微笑み。そんな無邪気な顔を向けられ断る術を知らない僕はただ頷くしかなかった。

最初は偶然、次は作戦、そして知らないうちに必然。
僕は定期的に彼女と夕食をとるようになった。二ヶ月目に突入すると、休日にどこかへ行ったり、彼女の部屋に招かれたり。けれど二人でいても、高校時代の話に花が咲く訳でも、共通の思い出が話しきれないほどあるわけでもない。今を話し、今を認識する。そして、お互いの今を唇を通して感じあう。けれども、彼女が何を考えどうしたいのか分からない僕はその先へは扉を閉ざしていた。

世の中偶然は重なるもので、僕達のアパートの更新は同じ月だった。二人で物件を見に行くうちに、彼女がとてつもない提案をしてきた。ルームシェア。確かに、家賃や光熱費は一人より二人のほうが抑えられる訳で…。僕がどうしようか渋っていると、彼女はいつかの無邪気な顔で一言、『一人より二人のほうが楽しいに決まってるよ。』。その通り、分かってる。けれども、僕達の間にあるのは不確かな絆で、明日にも脆く崩れるかもしれない。結局その日は、契約はせずにもう一度二人で話し合うことに。

僕達のその日の話し合いに言葉は不要だった。僕の部屋に入るなり、彼女は『どうして、気づいてくれないの。どうして分かってくれないの。』と泣き出した。そして、彼女は僕に唇を押し付けるなり『抱いて。』と声を震わせた。

彼女の口から出たとは思えない言葉。けれど、その音は確かにそう言っている。そして僕は分かった、高校の時に手が届かなかった彼女との今の『この距離』を崩したくない自分がいることを。出会って三ヶ月目、彼女の体を、心を自分の全てで愛した。今まで、この距離で接した女性とセックスレスで過ごすなんて…、考えたところでそんなことはなかったはず。それなのに、彼女に対してはあまりにも臆病で。



翌週、少し予算をオーバーしたものの振り分け式のなかなか良い物件に行き着いた。振り分け式、これがルームシェアの絶対条件。お互いの空間とそれぞれのプライバシー。僕達はその日にその物件にサインをした。アパートから、マンションへ。月々の支払いはちょっと減ったのに、不思議なもので、名称はグレードアップ。


「あれ、守ちゃん。久しぶり〜元気だった?え〜、もしかして中嶋君?守ちゃんの彼氏とか?」
僕らはその日の帰りに学年で一人や二人は絶対いる、色んなクラスに顔が利いて、かつおしゃべりだった子に遭遇した。その彼女が、僕の左手をしっかり握っている彼女と仲が良かったのが運のつき。お陰で、2、3日後には友達から『守山の彼氏になったんだ。』というメールが何通か来た。僕は彼女の名前プラス所有格。全てのメールにおいて。周りから見られる彼女と僕の価値観を良く表している。


それでも、周りがどういう風に思おうと僕達の関係はスローながらも楽しい。そう、彼女の言った通り『楽しい生活』。彼女の仕事は忙しい。だから、僕は彼女のことを思いながら料理をする。そして、帰ってきた彼女を迎える。古典の世界の貴族じゃないけど、夜は通い夫ならぬ、彼女が僕の部屋に尋ねてくる。

彼女と暮らして、体を重ねることへの価値観が変わった。彼女を全てで愛し、自分だけではなく、彼女自身にも最高の瞬間を感じてもらいたいと思うようになった。

僕は良く言えば、誰にでも親切で優しくできるタイプ。でも、本当はそうすることで、他人と深く関わらず最低限の誠意を表しているに過ぎない。そんな僕のどこがいいのか?二人で暮らし始め、彼女の良さに気づくたび、僕は不安に落ちる。楽しいと、この『不安』を天秤にかけ、『不安』の乗る皿が下へ傾くとき、僕はきっと逃げ出すんだろう。


ジトジトと降り続く雨が、夏の空に座を明け渡す頃彼女の友達が遊びにきた。ま、彼女の友達でもあるけれど、僕にとってもクラスメイトだった人たち。玄関からリビングダイニングにやって来た彼らは、夏の空同様からっとしていた。彼女の友達らしい雰囲気。友達は二人の女の子と二人の男。その一人は良く覚えている。何故なら、高校時代常にもてていたから。大人の顔になった今、僕よりも彼女の傍にいてしっくり合う人だ。彼女は満面の笑みで僕を、そして僕との関係をみんなに告げる。そして、だれもが僕に言う。「守ちゃんの彼氏になるなんてついてるよね。」って。

僕は、にこやかに『ありがとう』とお礼を言う。その瞬間、僕の思い過ごしだろうか?彼女の顔が一瞬翳ったように見えた。

彼らは楽しそうに、高校時代の共通の思い出に花を咲かせ始めた。僕は気を利かて料理をする振りをして、そこから逃げた。居たところで、訳の分からない話はまるで呪文。楽しくない。

楽しくない…

共通の思い出もほとんどない僕といて彼女は楽しいのだろうか?何をもって二人で暮らすのは楽しいと彼女は言ったのか?分からない。

そんなことを思っていると、北村ほどではないが、やっぱりもてていた坂西が僕のところへ現れた。
「中嶋、どうやって守ちゃんと付き合い始めたんだよ。よく、彼女が首を縦にふったな。」と当然の疑問をぶつけてきた。僕に出来るのは『さあ?』と惚けることだけ。実際、今の状況へ至るまでの過程は僕にも説明がつかない。坂西は、それでも僕の元を去ることなくもう一言。
「あの二人って高校でも、大学でも付き合っていたって知ってた?中嶋もチャレンジャーだよな、そんな北村を招いちゃうんだから。」
そっか、そうだよな…。似合ってるもんな。



「聖美、ごめん…。」
「ん?何?圭ちゃん。」
「新しいルームメイト探し始めて。」
僕はその言葉を彼女に投げかけて、自分の部屋へ。引っ越してから、一度もかけたことのなかった鍵をかけた。

今日の午後、二人を垣間見ながら僕の不安は増長を始めた。それが故に、決めた事。きっとこれでいい。僕達はルームシェアを解消するだけ。それだけ。

扉の向こうに足音が近づく。
「圭ちゃん、開けて。」
泣いている。彼女が泣いている。どうして。君が居るべき場所へ僕は返してあげようとしているのに。今日の君はあの頃のように見えた、だから…。最近の君はあの頃の君とは違うから、だから元に戻してあげようとしているのに。そりゃあ一時は辛いかもしれないけど、長いスパンで考えたら、きっと、今の気まぐれを笑える日が来るはず。なのに、どうしてそんな風に扉を叩くの。

「お願い、私が何か悪いことをしたなら謝るから、だから開けて。」
君が悪いことなんて何もない。だから泣かないで。
その愛らしい声が、泣き声で嗄れるのが辛くて僕は扉を開けた。話し合えば、彼女もきっと分かるはずだから。

僕が思っていたことを包み隠さず全て話すと、彼女は涙を零しながら、言葉を繋いだ。
「ずっと圭ちゃんが好きだった。高校の時は、あなたの視界にいつも映っていたくて…。困ったときにさりげなく助けてくれたり、分け隔てなくみんなにやさしいあなたがずっと好きだった。春にたまたまあなたを見たとき、最初で最後のチャンスが来たと思ったから、だから、あんなことしたの。それに、そう都合よく同じ月に更新が来る訳ないじゃない。ずっとあなたの傍にいたいから嘘までついたの。共通の思い出なんて、これからいくらでも作れるし。それに、本当の私はこの数ヶ月あなたと過ごした私なの。過去が楽しいより、未来が楽しいことが重要じゃない?それには、私には圭ちゃんが必要。」
彼女が僕を好きだったなんて…、その理由が親切な僕だなんて。それは違う。

「それは違う。それは違うんだ。本当に親切かどうかは分からないよ。」
「そんなことない。圭ちゃんは本当に必要なときに必要な一言を言える人だから。私もたまたま声をかけてもらって、凄くうれしかった。それから圭ちゃんを目で追ってた。だから分かるの。だから、お願い、さっきの言葉は取り消して。それと、今日みんなが圭ちゃんを私の所有物みたいに言ったでしょ。私、あれ凄く嫌だった。だからお願…い、私を、圭ちゃんの所有物に、して。」
都合よく捉えていいんだろうか?彼女は凄いことを言ったと。

「僕のものになる?お互いの本当を見つめながら。」
彼女は大きく頷いて、また目から大粒の涙を零した。こんなに感情的に泣く人だったんだ、君は。


後日、僕の親切の理由を彼女に伝えると、『私のほうが圭ちゃんの本質は見抜いているんだから』とその理由を否定した。彼女に言わせると、僕の根底には恥ずかしがりや住み着いているそうで。だから一緒に住むのも、プロポーズの言葉も出ないんじゃないかと不安だったらしい。

彼女は綺麗で可愛い。そして僕を良く知っていて、上手だ。

end



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