雇われ女優の久我山さん

 

     

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本当にこれでいいのか?


始まりは2年前、そして明日は…




始まり…、あれを始まりってやっぱり言うんだろうな。





「厚美さん、も、今回は厳選だから。」

「いいって、別に淋しくなんかないし。」

「でも、彼氏のいる生活も楽しいですよ。前の彼氏が極悪だったからってなにも26歳で世捨て人になる必要はないじゃないですか!」

「捨ててないから。」

なんか行っても面白くないんだよね、合コン。


なんて三枝(さえぐさ)さんの話から顔をそらすと、どうやら似たような話をしている人。厳密に言うと、わたしのより重い話をされている人がいた。


「信濃君、いい話だと思うんだが。」

「渡来さん、わたしは別に、今は仕事が楽しいので。」

「まあそう言わず、考えてみてくれよ。神嶋さんからのお話でもあるんでね。」


眉間に皺を寄せて、上司が去った後せっせとお昼ご飯を食べているのは、確か、信濃(しなの)さん。銀フレームの眼鏡が出来る男を演出しているタイプ。演出じゃないや、本当に出来る人らしい。

で、去っていったのは、渡来(わたらい)さん、人事部のマネージャー。その渡来さんから出ていた名前の神嶋(かみしま)さんは人事部のシニアマネージャー。彼らはわたしの上司でもある。


信濃さんは出世のために身を固めろみたいな話をされていた。可哀想に。やっぱり出世には奥さんが必要なんだろうか?

なんてボーっと信濃さんを見ていたら、愛想なんて響きはこの世にないような低くて冷たい声が聞こえた。


「何か?」

「あ、いえいえ、別に。ただ大変だな、と思って。」


「厚美さん、聞いてるんですか?今日は7時からですから、6時30分には会社、出ますからね、もう。」


斜め前の信濃さんの口は〈そっちも〉という形を作ったように思える。

なんで、軽く頷いておいた。



数日後、残業用の買出し袋をぶら下げて会社に戻ると、ちょうど玄関で信濃さんと鉢合わせた。

仕事中心の人っぽいから、社食で見かけたわたしなんか記憶の片隅にもないだろうと思い素通りを決め込んでいると

「今日は合コンじゃないのか?」


どうやら覚えていたらしい。

「オカゲサマで。」

「それは残念な。」

は?、うれしいんですけど、わたしとしては。なのに、なぜ、その言葉?

そして、定時後はエレベーターが省エネモードだから二基しか動いてなくて、無駄にこの人とどっちかが来てくれるのを待たなきゃいけない。


だから、無視も何となく難しい。


「あの、わたしは合コン好きな尻軽女ではありません。むしろ、こうして残業用にお菓子を調達してせっせと働く勤勉社員なんですから。」

「それはどうも。」

何、その返しは。


「あなたこそ、出世の為にどこぞのお嬢さんと結婚したら?」

「俺は出世なんかどうでもいい。だから、上の顔を立てる見合いもしない。」

「そうですか。」


— チン —

エレベーターがようやく来たっていうのに、乗るのはわたしたちだけ。こんなに待っていたのに、残念ながら他には誰も来なかった。

だから当然のことながら個室には二人だけ。


そして、行き先は同じ階。

なぜならそこには自販機が。セコイようだけど、社内の自販機はコンビニよりもお得だから。


「勤勉女子社員、飲み物は買ってこなかったのか?」

「こっちのほうがお得だから。勤勉な上に質実剛健なの。」

「で、合コン代を貯めるわけだ。」

「合コン合コンて煩いなあ、もしかして行ったことないから僻んでいるとか。」

あれ、ちょっと図星?


「昔は行ってたよ。」

「あ、そう。」

そこへ丁度いつかの渡来さん。


「信濃君、久しぶり。ところでその後考えてくれたか?」

「渡来さん、今ここでその話は、ちょっと、」

眉間に皺を寄せる手前の信濃さんは、渡来さんから視線を逸らすためにわたしを見た。


「信濃君、君、久我山君と、そうか、てっきり我々は、そうか、それは余計なお世話だったな。」

ん、ん?、は?、渡来さん、それって、

わたしたち二人が否定する前に渡来さんは納得するように去ってしまった。

『社内だから、周りに気を付けなさい』なんて呟きながら。


「なんか渡来さん、凄い勘違いをしたまま去って行ったんじゃない?」

「俺としては、五月蝿くなくなる予感がするから勘違いのままで結構。」

「わたしは困る。」

「どうして?もしかしたら、合コン誘われなくなるかもしれないぞ。それとも、本心は合コン好きだから困るのか?」

「それはないから。ただ、こんなの行きずり過ぎるからイヤ。第一、お互い何にも知らないのに、変じゃない。」

「誰だって最初は知らない同士だろ。それに同じ会社なんだから俺の名前くらい知ってるだろ?」

「まあ、一応。」

「俺もあんたの名前は知ってる。これで問題はないな。名前くらいは知ってるんだから、『変』ではなくなる。」

「は?」


結局、何故かわたしはお互いの?平和な日常のため、渡来さんの勘違いをそのままにしておくことになった。でも、信濃さんは平和になるかもしれないけど、やっぱりわたしには何のメリットないんじゃないかと、はぁ。


壁に耳あり障子に目あり、そんな言葉はその時に思いもしなかった。




「厚美さん、知りませんでしたよ。あの信濃さんとらぶらぶなんて。」

「は?」

「もう、合コンは不要ってことですね。」

信濃さんが言ったように、無用の合コンに参加はしなくても良さそうだ。でも、そんな噂が…


「あ、ダーリンですよ、ダーリン。」

「はぁ?」

「信濃さ〜ん、厚美さんここですよぉ〜。」

三枝さんにいきなり呼ばれた信濃さんも可哀想かもしれない。だけど、信濃って言う名前の後に出されたわたしの名前もそれなりに不幸だ。


そして、当の信濃さんは直立不動。しかも、多くの人の目線を集めてしまっている。あんたが招いたことだ、そこで少しそうやって晒されてなさい、って言うのがわたしの本音。


ザマアミロ、そんな言葉を直立不動の信濃さんに捧げたいけど、社食でそれは憚られる。だから冷ややかに見つめると、わたしを見たヤツの口角が上がった。


「厚美、そこにいたんだ。」

ワザとらしく、わたしの名前を呟いてこちらに向かってくる。


「ヤン、厚美さん、信濃さんから名前で呼ばれちゃう間柄だったんですね。咲の方が恥ずかしくなっちゃう。」

いいって、三枝さんが恥ずかしくならなくて、顔から火がでそうなのは何を隠そうわたしなんだから。


「じゃあ、お邪魔虫は失礼しますよ。ごゆっくり。」

いいって、そんな気は使わなくって。本当は関係ないんだから、そんな人。


「よう、噂は早いな。でも人の噂も75日だ、我慢しろ。」

「なんで、我慢なんかしなきゃいけないのよ。」

「最初だけなんだ、色々言われるのは。あんまり反応しなければ、誰も面白がらない。その上、面倒な話はやって来ない。いい話じゃないか。」

「でも、やっぱりイヤ。第一なんでわたしとあなたが、」

そこまで言いかけると、ヤツの言葉がその先を塞いだ。


「慰謝料にメシ、今晩のメシご馳走してやるよ。19時に1Fロビーに来い。それまでには仕事片付けろ。」

「仕事は問題ないけど、どうしてあなたに、」

「な、一応そう言う関係ってことなんだから呼び方考えろ。」

「だから、なんでわたしがあなたに一々指図されなきゃいけないの!」

「馬鹿か?今も言ったけど、そういう関係なんだからしょうがないだろ。」

それだけ言うと、信濃さんは昼食を取り始めた。後は何を言っても聞き流されているし。なんだか、全てが頭にくる。



だけど、すっぽかさないわたしもわたしだ。

19時5分前、結局ロビーにいたりする。誘ったのは信濃さんなんだから、わたしより先にここにいるべきではないかと思うけど、…いない。

もしかして、逆にすっぽかされた?って言うか、騙された?

なんだか腸が煮えくり返ってきそう。



「すまん、」

19時5分、信濃さんは待ち合わせ場所にやって来た。

「5分遅刻。お陰でわたしは10分『も』ここにいました。」

「そっか、10分『も』俺のことが待てるのか。」

何なの、あんたは!って言ってやりたい。だけど、言ったらまた苛立ちの種が増えることは間違いなさそうだから、ここは我慢。でも、どうして、わたしが我慢?それにすらムカつく。


「ところで久我山、食えないものは?」

「あの、信濃さん、一応、久我山さんって呼んでもらえませんか?わたしたち本当は全然親しくないわけですから。」

「だから、厚美とは呼んでないだろ。」

はぁ、この人は。


「で、何が嫌いなんだ。」

あなたみたいな人。ホント食えないタイプみたいだし。


「なんだ、その目は。言いたいことがあるならちゃんと言えよ。」

「嫌いなものはサザエとウニ。」

「じゃあ、肉なら大丈夫だな。」



誰かが言ってた、焼肉を食べるカップルはそれなりに親密な関係のことが多いって。どうしてわたしがこの人と…

でもって、ムカつくことに肉焼きマシーンのように使われていること。

目の前の信濃さんは、お肉は赤身が残る微妙な状態が好きなんだって。そんなことを最初に言われたら、やっぱり気にするじゃない、その状況で提供できるように。


「久我山もしっかり食え。それと、メシは何がいい?」

「メシって、このお肉たちがご飯じゃないの?」

「これは肉。ユッケジャンクッパとかビビンバとか、ただの白いメシとか、何がいいんだ?」

ああ、そういうことね。


「じゃあ、半ライスとわかめスープとキムチをもう一皿。」

わたしの『メシ』を確認すると信濃さんは、カルビ・ロースを2人前づつ追加した上に、自分用の石焼ビビンバとわたし用のご飯を素早く注文した。


こんなに食べれるはずはないと思ったのに、不思議と注文したものは全てわたし達の胃に収まってしまった。


「うまかったか?」

「うん。」

「じゃあ行くか。」

そう言って、伝票を持った信濃さんはとっととレジへ。でも、随分と食べてしまったから全部ご馳走してもらうのも気が引けてきた。


「ねぇ、いくらか出すよ。やっぱりご馳走してもらう理由がないから。」

「いらねぇ。結構助かったから。あれ以来お陰で渡来さん、ぱったりだから。」

そう言って、笑顔を見せる信濃さん。

この人のこういう笑顔を初めて見た気がする。そして思った、女子社員に人気があるのも頷けるって。



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