作法教室
作法教室
お姉様の始まり
3年生の教室が並ぶこのあたりに、下級生でありながら堂々とやってくる彼女は”九条珠樹”。嫌味なほど家柄良し、器量良しの金持ち。別にいくら金持ちお嬢様学校とは言え、廊下にスポットライトなんて付いていないんだけど、何故か珠樹の周りには光が見えるような感じがする。
そして扉から真っ直ぐわたしに向かって歩いてくる珠樹の背筋には、物差しが入っているのではないかと思うくらい伸びている。
「芙美花さん、ご機嫌いかが?」
2学期が始まってから毎日繰り返されるこの挨拶。最初のうちは、良いとか悪いとか、まあまあ普通なんて正直に答えていたけれど、最近は聞き流している。というのも、クラスで今まであんまり話したことが無かった子に、珠樹がそういう意味で言っているのではないと指摘されたから。しかもそういうときには、優しく微笑んで目で挨拶をした上に、珠樹さんはいかがですかと質問し返すべきだとも。はっきり言ってそんな背筋が凍ることは、わたしには無理。ついでに、珠樹はわたしからのそんな挨拶がなくたってビクともしない。
「今日はお約束通り、芙美花さんのご自宅へ伺わせて下さいね。ケーキを作って参りましたのよ。」
そう、わたしは珠樹のとんでもない申し出にこの間空返事をしてしまった。
その日はとってもうかない日だったから、なんとなく珠樹の話というより声を聞いていたんだよね。で、相槌代わりに『うん、うん、』と流していたら、珠樹がうちに来ることになってしまった。なんでも、わたしと仲の良い友達になったからにはうちの親たちに挨拶をしなくてはいけないとかで。別にいいのに。それに、我が家の人たちは珠樹みたいなのが来たら面食らうって。それよりなにより、珠樹と仲良くなったつもりはないし。
放課後、やっぱりすっぽかそうと思い教室を出たところで珠樹に会った。そのまま家庭科室の冷蔵庫を経由し、校門で待つこと数分、九条家のお車がやってきた。
九条家のお車はすごい。上手く伝えられないけど、乗り心地はいいし、内装もうちの車なんかとは全然違う。こんな車に乗る日が来るなんて…、隣は珠樹だけど。
家の前に到着すると、運転手さんが扉を開けてくれた。だけど、その先には門扉や広い玄関ポーチなんかなくて、ただの家。なんか車と家のギャップが奇妙。
「珠樹様、ではご入用の時に連絡をお願いします。」
「ありがとう、真壁さん。」
わたしが今まで思い描いていた珠樹はもっとつんけんしていると思っていた。だけど、運転手の真壁さんにもちゃんと挨拶をしたりお礼が言える子だった。ちょっと意外。
狭い玄関を開け、一応”友達”が来たことを大きな声で知らせるとお母さんが出てきた。そして珠樹を見た瞬間、口の閉じ方を忘れたみたい。半開きだよ、お母さん。
そんなアホ面のお母さんに嘲笑も浮かべず、珠樹は見本のような美しい挨拶をした。そして上品にラッピングされたケーキを、綺麗な顔に笑顔を浮かべて手渡す。
我に返ったお母さんが今更ながらいらっしゃいの言葉とケーキへのお礼を返した。珠樹はそれにも笑みで返す。そつがない。
ひとまずわたしの部屋でも連れて行くことにし、階段を中頃まで登った時だった、後ろから小さな叫び声が聞こえたのは。
言われなくても分かってる、うちの階段は狭い。きっと珠樹のところのとは比べ物にならないだろう。だけど、叫び声は次の瞬間野太い声に変わっていた。
「いてー」
そこには尻餅をついて珠樹を抱える兄二号。良かった、珠樹に我が家でもしものことがあったなら、うちでは責任が取れないことになりそうだったから。でかした兄貴。
たまたま帰って来た兄貴のお陰で、珠樹は怪我一つなく無事だった。放心状態の珠樹は言葉すら忘れている様子。
「芙美花のお友達、大丈夫?、だよな?」
微動だにしない珠樹を心配に思ったのか、兄貴が質問する。その声に我に返った珠樹がようやく動き出した。よかった、意識もちゃんとあるみたい。
どうやら兄貴の掛け声に現実に戻れた珠樹はそのままそこにへたれこんだ。珠樹のあのいつも伸びた背筋も、こういう時にはさすがに丸まるんだなんて感心してしまう。
「大丈夫、ホントに、君?」
本当に心配しているのかどうかは知らないけど、兄貴は珠樹をしっかりと抱き寄せ覗きこんだ。次の瞬間兄貴が止まった。そりゃあそうだよね、中学まで遊びに来ていたわたしの友達とは全く別のタイプだもん、珠樹。っていうか、異人種?双方共に、色んな意味で衝撃を受けていそう。
「珠樹、落ち着いた?」
あれから男手ということで、結局兄貴が珠樹を担いでわたしのベッドまで運んできた。珠樹は恐縮していたけどね。
で、兄貴はと言えば、わたしの部屋を出るときに耳元で『久しぶりに女子高校生の生パンツを見たよ。しかもレースフリフリの。』なんて馬鹿げたことを囁いた。
珠樹のパンツはレースフリフリなんだという考えと、兄貴は久しぶりって言ってたけど、前はいつ生パンツを見たんだ?という疑問はこの際放っておくことにした。
「芙美花さん、せっかくお招きいただいたのにこんなことになってしまって。」
招いたつもりは全くないけど…。でもここは怖い思いをした珠樹に同情して微笑んでみたりして。
「ところで先ほどの方は?」
「あ、あれね、わたしのお兄ちゃん。」
「お兄様?」
「そ、二番目の兄。」
「お名前は?それにちゃんとお礼を…」
「いいよ、別に。珠樹が無事で良かったよ。」
「でも…」
—コンコン—
「芙美花、珠樹ちゃんが落ち着いたようならそろそろお茶にでもしましょう。」
驚くことに、お母さんがノックをして一呼吸おいた上に丁寧な言葉使いでやってきた。今までそんなことしたことあったっけ?
「うん、今行く。珠樹、起き上がれる?」
「はい、もう大丈夫。」
それから、うちにもこんなティーカップがあったんだと思うようなカップでお茶をした。お菓子は珠樹が持参したケーキで。
なんでも、昨日家に先生を呼んで教えてもらったとか。先生が凄いのか、珠樹が優秀なのかは分からないけど、びっくりするほど美味しい。こいつが料理、しかもお菓子作りをなんて思うと何か違和感があるけど、美味しいのは事実。
「お、ビューティちゃん、もう大丈夫?」
そこへどうやらシャワーを浴びたばかりの兄貴が再び登場した。
「歩、失礼でしょ、そんな呼び方をしたら。」
「事実だろ。こんなに綺麗で可愛いんだから。」
「あの、珠樹です。九条珠樹と申します。先ほどは助けていただいてありがとうございました。」
頬を真っ赤に染めながら、珠樹はしっかりパンツを拝ませてもらっていた兄貴にお礼を言った。
「珠樹ちゃんね、まあゆっくりしていってよ。じゃ。」
我が家のその日の夕食のトピックスと言えば、珠樹の話題で持ちきりとなった。
「いいなぁ、今度は俺がいる日に連れて来いよ。」
「珠樹がうちの狭さに懲りてなかったらね。」
「懲りるって、別にとんでもない屋敷に住んでるわけじゃないだろ。」
「珠樹の家て、うちの学校でも断トツの金持ちだよ。」
「へえ、ちょっと想像がつかないな。」
なんて呟いた兄二号。その内現実を目の当たりにする日が来るなんて…。それはまた別の話。