雇われ女優の久我山さん

 

     

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「ミキ、お、さん。」

「そんなびっくりしなくても、ま、確かに良く似てるけど。」

「はは、そうですね。今まで信濃さんから弟さんがいるとしか聞いてなかったんで。まさか双子で幹郎さんて言うなんて…。」

どうせ自分は男運が悪いと思っていたから、ミキさんという壁を高く感じては溜め息をついていた。そして親密になる信濃さんとの関係に怖さを感じては憤り…。諦めと背徳感をバックに悲劇のヒロインになりきっていた日々。

そうすることで、全てが終焉に向かったとき、所詮これが自分の役割と逃げるつもりだったのに。



「ミキ、悪かったな、夜勤明けの日にばたばたしちまって。これから少し寝るだろ?さっきは上へ行ってもいいって言ったけど、その前にちょっといいか?父さんと母さんとミキが今日は丁度いると思ったから厚美を連れてきたんだ。俺、彼女と結婚を前提に付き合っている。」

その言葉を聞いた瞬間、わたしは言葉を失った。

それとは反対に信濃さんのお母さんは『お寿司、お昼にとりましょう、ね、お父さん。』と声を弾ませ、信濃さんのお父さんは『ようやく一人嫁をもらえるのか』と呟きわたしに手を差し出した。その差し出した手が意味することは、握手。それもこれからお願いしますという意が含まれている。


わたしの気持ちを複雑に捩れさせた根源のミキさん、もとい、幹郎さんは『お姉様、宜しくね。』なんて言っていた。


言葉は違えど、予告も手土産もないわたしを皆さん一様に歓迎してくれているようだった。ただ、わたしだけが信濃さんの言葉を受け止められていないだけで。


信濃さんはわたしを?、そもそもいつから、何処がいいと思っていたのか…、まさしく5W1H。


立派な寿司桶に入っているお寿司をしっかりと味わうことが出来ず、信濃家での時間が過ぎた。食後、信濃さんは『じゃあ本来行きたかったところへ行くか。』とわたしを連れ出した。信濃さんのお母さんが最後に『涼がいつもお世話になっていたようで、ありがとう。』と言った時には赤面ものだったけど。


何処へ行きたかったか、なんてことよりもっと聞かなくてはいけないことがある。

「さっきの何?」

結婚なんて言葉恐れ多くて、濁すかのようにさっきのなんて言ってみた。

「さっきのって?」

なのに、ワザとらしく信濃さんが聞き返す。

「け、結婚よ。わたしそんなこと一度も聞いてない。」

「そりゃあ当たり前だろ、今まで一度も言ってないんだから。」

「じゃあなんで急に。しかもわたしに言う前に家族皆に言っちゃって。」

「本当は今日、婚約指輪を買いに行くつもりだったんだ。今朝言ったように、何故か厚美が100%応えてくれていないようで不安だったから、まずは自分の気持ちを示そうと。でも、とんでもない誤解があったようだから、」

「だって…」

「言わなくていいよ。だけどひっくり返して考えてみれば、怖くなるくらい俺のことが好きなんだろ。だから誤解を取り払って、その上で言おうと思った。誤算だったのは、片付けに行ったら、急に家族に宣言したくなったことだな。先に厚美に言わなかったのは悪かった。でも、俺はいつも自分のものになれと態度でも体でも示していたはずだ。で、返事は?」

「返事…」

「そう、もっと愛し合おう。結婚はその通過点にしかすぎない。だけど、これからのための大きな一歩になる。」


その力強い言葉に、頭で何かを考える間もなく頷いていた。わたしも信濃さんともっと愛し合いたい。


大学くらいから始まった男運の悪さに徐々に100%で誰かを好きになることを忘れていた。今回だってそう。けれど信濃さんへの想いはだめだって分かっているのに強くなって。だから怖かった。

どうして怖いか、そんなの簡単。100%愛したかったから。


「ちゃんと言葉にして。」

「…わたしをもっと愛してくれる?…お嫁さんにして。」

すごく恥ずかしかったけど、言葉にした。それなのに、信濃さんからは言葉もなければ頷いてもくれない。


「ねえ、わたしなんか変なこと言った?」

「え、あ、いや、ちょっと予想外だったから。勝気な目をした厚美からそんな言葉がでてくるとは。」






「厚美さん、こっち向いて。」

「三枝さん、今日はありがとう。」

「いいえ、どういたしまして。わたしこそ光栄です、お招きに預かって。いつも綺麗な人だと思っていたけど、今日は格別ですね、厚美さん。」

「そんなこと、」

「ありますって。最近マリッジブルーっぽかったけど、今日はスッキリって感じだし。」

「直前になればなるほど怖くなるもんなのよ。でも、色んなことを思い返してやっぱり信濃さんと一緒にいたいって。」

「何惚気ているんですか。写真たくさん撮っておきますからね。あ、スタンバイみたいですよ、厚美さん。さあ、とっとと誓いの言葉を交わす準備に行っちゃってください。」

「あ、うん。」


結婚を決めてから1年、色々なことがあった。本音で話せるようになったし、信濃さんではなくちゃんと『涼』って呼べるようになった。ただしベッドの上と二人っきりの時だけ。えっちは前に増して激しく?ううん情熱的になったし。


そうそう、どうして涼は連泊をしなかったか?これはカレンちゃんの散歩当番が影響していたらしい。きっとわたしの所に最初に泊まったときも、自分の当番をミキ君に代わってもらったんじゃないかと言っていた。本人ははっきり覚えていないらしいけど。


そんな程度のことに、勝手に話を膨らましていたわたし。馬鹿みたい。

でも、もう大丈夫。ちゃんと神様の前で愛を誓う自信がもてるほど、最近の1年は充実していたし。


昨日より、今日より、明日はもっと愛せるから。


(end)



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