雇われ女優の久我山さん
雇われ女優の久我山さん
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てっきり今日あったことを根掘り葉掘り尋問されると思っていた。
「部署の後輩に恨まれている。」
「後輩の彼女を寝取ったんですか、それとも宝くじにでも当たったんですか?」
「寝取ったことは後輩・友達・先輩を含めて、一回もない。それに、宝くじは買ってない。」
「そうですか、それじゃあどうして後輩から恨みなんか買ったんですか?」
「さあ、久我山に言う必要はないだろ。」
なんなんだ、だったら最初から言わなきゃいいのに。
…あ、そう言うことね。
「三枝さんが言ったことは気にしないで下さい。わたし、そんなことで物陰でメソメソ泣いたり、会社に来なくなるほど弱くはないですから。」
「そんなことをしないのは分かるさ、ただ、自分が知らないところで、自分が原因で久我山に迷惑を掛けるのが嫌なだけだ。」
「迷惑とも思っていないですから。」
「じゃあ、言い方を変える。久我山に危害を加えた人間が許せない。」
「危害なんて、大げさな、…ん?」
しかも許せないなんて、もっと大げさな。きっとこの人正義感が強いのね。
「ところでどうして後輩から恨まれているんですか?」
「久我山が俺の彼女だから。」
「なんですか?それ。振りをしているだけなのに。」
「でもみんなには噂が流れ着いているんだから、それが真実だろ。」
「まあそうですね。」
「そんなことはどうでもいいや。今日は楽しく飲んで、食おう。」
金曜ってこともあり、ついでに美味しい焼き鳥ちゃんたちのお陰で食も進み、お酒も進んだ。何より、信濃さんという人は話の端々に頭の良さが隠れていて、会話が楽しい。
社食での印象は前回の焼肉で変わってきていたけど、今日はより一層加速した。それに、社内でのちょっとした会話の内容とかも覚えてくれたみたいで、話していて全てが心地よい。
やっぱり女性に人気があるのが分かる。再認識してしまう。でも、どうしてこの人に彼女がいないんだろ?、あ、待って、そう言えばいるとかいないとか、聞いてなかった。いけない、いけない、決め付けちゃ。上辺は彼氏と彼女の関係。だけど、本当は違う。本当はどうなんだろ?、やだわたしってば何を考えているんだか。
気がついたら終電が迫ってた。だけど、そんなに時間が経っていたなんて。むしろもう少し一緒にいたいかも。
わたしがそう思ったところで、腕時計をチラッと見て伝票を持っていく背中からは同じ意見は聞こえない。
信濃さんはアルコールの雰囲気にまかれた振りをして、何かを仕掛けてくるタイプじゃないらしい。仕掛けるって、あれ、ほら、朝まで一緒に飲むとかになって、途中で挫折して、結局ホテルにいっちゃったりとか、もしくはどっちかの家に転がり込んでとかのパターン。だって、今ちゃんとわたし達は電車の中にいるから。だけど…
実は同じ駅で降りた。この駅はわたしが朝な夕なに確かに使っている駅。でも、信濃さんの最寄駅じゃない。一瞬送り狼に変貌するのかなんて最後の最後に残念に思ったけど、この予想はいい意味で裏切られた。
なんと方面が同じだからと、タクシーでアパート前まで送ってくれた。しかも、出そうとしたお財布を押し返された。もしかしなくても、この人はかなりジェントリー。こんな見事な身のこなしを、さっさっと出来ちゃうんだから。
その時はアルコールのお陰でそんなことを思っていたけど、土曜日、昼過ぎに起きたわたしは違うことを思った。飲み代もタクシー代も一銭も払ってない。さすがにそこまで甘えるわけにはいかないって。
こういうことは気が付いたら、早いほうがいい。善ではないけど、善は急げと同じ。だからどうしてか昨日交換しあったケータイのメールアドレスへ宛てて用件をうった。
『昨日といい、この前といい、ついでにタクシーまで、スイマセンデシタ。あの、お支払いしますので。』
なんか変な文だけど、これ以外に言葉がでてこない。悩んでも、本当に言葉が出そうにないから一思いに送信ボタンを押してみた。
少ししてから返ってきたメールには『いいよ』というたった3文字。3文字だけ。なんか自分という存在がその3文字で片付けられたような気がした。
『そう言う訳にはいきません。』思わずパパッと打って返信。だって、3文字で全てを片付けられたくはなかったから。なのに、今度は返信すらない。やっぱりムカつく男だ。だったら最初から笑顔を見せたり、紳士的に振舞ったりして欲しくはなかった。ムカつくままでいてくれれば、そうすれば…、そこまで思ってその先に続く言葉に驚愕。だって、わたし、信濃さんのこと、好きになり始めているのかも。
前の彼氏には口喧嘩をしたときに顔を殴られて、口の横を切った。えっちのときもちょっと暴力的だったけど、あれは決定的。本人はその後すごい勢いで謝っていたけど、DVを行なう男の人の言動そのままだったから別れた。
別れてから思った、わたしはあの人のどこが好きだったんだろうって。
その前の彼氏はえっちの時にもっと深く繋がりたいし直接わたしを感じたいからとピルを勧めた。でも、それはお気楽にヤリたいだけの相手だったから。二股をかけられ、しかも本命ではなかった。もうダメだからどうでもいいやって思って、寝ていたヤツの持ち物チェックをラブホでしたら、本命の子との仲が良さそうな写真はでてくるし、ゴムまで出てきた。本命にはちゃんとゴム使ってたみたい。
その男とはそれっきり。起こす気力なんて勿論ないから、別れの言葉も言ってない。その前の彼氏は…、思い起こして悲しくなる。わたしって、ホント男運悪い。
どっぷり暗くなっていると、電話が鳴った。メールじゃない、着信。
そしてパネルには…
『おはよ、久我山。』
「昼ですよ、今。」
『ん、今起きたから、俺には朝。』
なんだか意味不明な自論を唱える信濃さん。じゃあ、さっきのメールって寝ぼけて打っていたの?
『ところで、メールは面倒だから電話したんだけど、メシでいいよ。』
「はっ?」
『だから、支払ってくれなくていいからメシ。』
「分かりました。でも、あんまり高いものは勘弁して下さいよ。」
『それは久我山次第だな。なんか作れ。』
横柄なこの物言い、だけどここは下手に出ないといけない気がする。ついでに勘違いして更に笑われるとやっぱり癪だから、確認しないと。
「それって、手料理?」
『そ。手料理とその材料。』
信濃さんは本気でそう言っているらしかった。しかも、うちまで来ちゃうとか言っている。
「ムリ。」
『そんなに部屋汚いのか?』
「そんなことない、けど、」
『じゃあ、何も作れないから鍋もないとか?』
スーパーで食材を眺めながら、馬鹿だと思った。見事に信濃さんにしてやられた。
信濃さんの挑発で瞬時に沸点まで到達したわたしは、『腰が抜けますよ。美味しさに。』なんて馬鹿げたことを…。たぶん人並みに料理は出来ると思う。もしかしたら自炊してるから手際もいいかも。でも、腰が抜けるは言い過ぎた。電話を切るときに、笑いを滲ませた信濃さんの一言は強烈だった。『抜けなかったら違う方法で抜いて貰おうかな。』だって。本気じゃないのは分かってるけど、すぐに沸点から零下まで突き落とされた感じがした。
信濃さんが来るまでには2時間。食材を狭いキッチンに並べて手順を考える。お肉には下味をしっかり入れなくては。これには何かの番組で見たビニール袋を使って、サラダはしゃっきりするように冷水につけて…
買い物をしているときには、既にわたしは冷静になっていると思ってた。でも、違ったみたい。今、ようやく一歩退いて見れた。すごい真剣に『おいしい』料理を作ろうとしている。自分の発言もそうかもしれないけど、何より食べてくれる相手の為に。だって、不味い料理を作って腰を抜かしてもらってもよかったんだから。
はぁー、決定的。