絶対条件

 

11



隼人とリカが送り届けてくれるので、両親もわざわざ玄関まで迎えに出る。この姿だけ見ると本当に両親によって手塩にかけられ育て上げられた娘のようだ。

「では明日は11時に迎えにあがります。」

「はい、ありがとうございます。」

「それでは私達はこれで失礼いたします。」

二人が去ると父は何も言わず、その場から早々に離れた。


「本当に美男美女のカップルね。」

「カップル?」

「あら、やだ気がつかなかったの、耶恵ったら。あなたが貧血を起こした時も、二人で何やら話していたわよ、階段の下で、次の日にどうとか。お母さん、あんなきれいな人が田辺さんの部下だって最初は戸惑ったけど、その心配は無駄だったわね。」

尚哉はリカには男を見る目がないと言った。その男は隼人ではないだろう。どう考えても尚哉のような人物が信頼を置く隼人は出来る人物だろうし…

要は、隼人とリカにそつがないのだ。二人はわざと神田家の誰かが目にする所で仲良さげに話すという布石を打ったに違いない。

リカのアキレス腱は”見る目がなかった”と言われている男。そこを握られているから雁字搦めなんだろう。でもその雁字搦めの環境で、ああしていられるのはリカが強いから。そして、何を隠そうアドバイスをしてくれた隼人も強いということだ。



「耶恵、ちょっといい?」

リカが泊まった日から初めて克実が耶恵の部屋を訪ねてきた。怒っているのは分かっていた。けれど耶恵は敢えて何もしないというオプションを選んだ。

「なあに、」

「田辺ってやつとはもうやった?」

「克実に言う必要はないことでしょ。」

「じゃあ体で確かめる?男を知っている体か知らない体かなんて簡単に分かるんだから。」

克実の発言は、耶恵の脳裏にあの日の尚哉の言葉を思い出させた。そして、こともあろうか、体は不思議とセックスで得られる快楽を思い出した。

痛みでどうにかなりそうだった一回目。それが何度目かには、自ら求めた。更には二人の男に同時に貫かれるリカを羨ましくも思った。どうせ結婚するのだからという理由だけで、ふしだらにも快楽から簡単にセックスを求めてしまう女なんだと分かってしまったあの日。


「確かめる必要はない。したよ、田辺尚哉と。だって結婚する相手なんだから、遅かれ早かれするでしょ。」

「良かった?」

「何が?」

「セックス。それと、年上の男のちんちん。満足させてもらえた?見た目は、俺のより良かった?」

「やめてよ、変なこと言わないで。」

「だって俺のは試したことがないんだから、見た目くらいしか比較しようがないだろ。それとも試す?きっと俺のほうが愛のあるセックスは出来ると思うけど。結婚する相手だから、セックスもするって、お粗末な理論だよ。」

「お粗末だろうと何だろうと、わたしにはその理論しかないし、これから先の道もその理論があるからこそ、進むだけ。ごめん、出てって。一人にして、一人にならないとどうにかなりそう。」

「…何かあった?」

「いつだって十分何かあるよ。望まなくても。」

「ゴメン。」

話し方、態度で当たったのは耶恵なのに、何故か克実に謝られてしまった。そして克実は優しく耶恵を抱きしめてくれた。」

力がぬける、とはこのことだろう。克実に抱きしめられた体は不意に緩んだ。思い返すまでもなく、耶恵を大切に抱きしめてくれたのは克実くらいしかいない。だから体は覚えている。

その感触を優しさを。


「月曜、二人で、夕飯、外で食べない。ごちそうするよ。」

「いいよ、バイト代入ったし、俺が出す。…それって、親には耶恵とメシ食いに行くから夕飯いらないって言っといたほうがいい?それとも友達って、」

「出来れば、…友達。」

夕飯を誘った時から自分は何を言い出すんだろうと感じたが、克実の質問に対する答えはもうどうしようもないと思った。

「せっかく優しくしてくれてるのに、ゴメン、今日は一人にして。月曜はいつもの私に戻っているから。」

「分かった。覚えておいて、俺はどんな耶恵もいつも好きだって。」

「…うん。」




「なんか意外でした。イタリアンとかフレンチだと思っていたので。」

「わたし、こういうところ好きなんです。お安くて美味しいですから。」

リカが耶恵を連れてきたのは、どうやら夜は焼き鳥を出す居酒屋で、昼は親子丼のみを提供する店だった。

「耶恵様、おなかに余裕はまだありますか?待ち合わせまではまだ時間がありますから、ケーキでも食べにいきましょう。」

「はい、是非。」

リカの週末はいつも尚哉からの何らかの理由でつぶれてしまうのか耶恵は気になった。けれど、その質問がタブーであることは分かる。ただ、耶恵と二人のときは気を抜いてもらえたら嬉しいと思った。その為にもリカの体を強ばらせる質問をしてはいけない。普通に当たり障りのない話をしなくては。


「わたし、子供の頃チーズケーキって初めて聞いたとき、味が全く想像できませんでした。我が家のルールでケーキは弟と父から選ぶんですけど、クリームやフルーツが乗ったのは先になくなっちゃって…あ、でも、弟達が中学生くらいからは気に掛けてくれて、可愛らしいのを残してくれてましたけど。でも、小さい時はあんまり可愛くないのがいつも残っていて。だからチーズケーキの味を早くから知ってたんですよ。豪華な見栄えじゃないけど、食べたら美味しいでしょ。だから、残っててくれると嬉しかったな。残ってて良かったなんて思ってました。わたし、だからかなって思うんですよ、選ぶのに時間がかかるのは。残り物にいつも当たっていたから。」

「いいと思います、時間を掛けて選ぶことは。わたしには兄が一人いるんですけど、何か買いに行くとすぐに決めてしまうタイプでした。だからわたしも早く決めなくてはいけない気がして…。これがもしお姉さんだったらどうなんだろう、ってよく考えていました。兄は結婚も決めたら、日取りやら式場選びも速かったですけど。」

それはリカが初めて話してくれた家族に関することだった。どうして話してくれたのかは全く分からないが、耶恵はなんだかうれしかった。


「今日はゆっくり選んで下さい。ウエディングドレスは女性にとって大切なものですから。」

「聞かなかったことにして下さい。正直、本当は何でもいいんです。田辺さんに恥をかかせないものであれば。」

耶恵の言葉にリカは何も言わなかった。本当なら何かしら言って、耶恵の気持ちを宥めなくてはいけない立場であろうに。

「ごめんなさい。こんなことを言ってしまって。忘れて下さい。わたしは義務だと思えば大抵のことを受け入れられます。」

「けれど、心までは義務に縛られない方がいいと思います。常に義務から解放しておかないと、あなたが保ちません。」

もしかしたら、今言ったことがリカが強くいられる方法の一つなのかもしれないと耶恵は思った。

「余計なこをと言ってしまいました。そろそろサロンへ向かいましょうか。」


先にブライダルサロンにいた隼人はいかにもばつが悪いといった表情だった。まあそれは無理もないことだろう。場所が場所なのだから。

でもそれは隼人だけではなかった。耶恵にとっても場違いに思える。ウエディングドレスは確かに美しい。けれどその分、耶恵の心の奥底に潜むどす黒い何かを写し出してしまうように思えた。


「いかがですか?こちらのデザインはとても神田様にお似合いですよ。」

店員の作られた笑顔が既に表情として埋め込まれている顔を見ながら、耶恵は自分の顔と心に埋め込まれた”何”を尚哉は見たのだろうと思った。

作り笑いと違って、ネガティブなものはそうそ表面には出ない。いや、出ないように常にカモフラージュをしてきた。

耶恵も人の心を覗くのは上手い方だ。家では勿論のこと、学校でも会社でもしてきた。隠すことが出来る耶恵にとって、他人のネガティブな感情を見抜くことは然程難しくない。

…上には上がいる。田辺尚哉は耶恵より明らかに上手だ。どうして…それは見抜かなくてはいけない環境にあったから。社長になるということは、人を見抜くことが確かに必要かもしれない。でも、ちょっと見ただけで見抜くことに関し尚哉はずば抜けている。

「いかがいたしました?」

「あ、いえ、何でもありません。ちょっとお友達に見てもらいたいのですが。」

「では、呼んでまいりますね。」


「どう思いますか?」

「わたしの主観より、耶恵様はどんなドレスを着てみたいと思っていましたか?」

「わたしは…、白いカラーの花をひっくり返したようなスーっとしたラインが着てみたかったかも。」

「いいですね。耶恵様の胸のボリュームと腰の細さを利用するようなハイウエストで膝上くらいまではシンプルなラインでそこから裾が開くようなものを探してきますね。」

少しするとリカが数枚のドレスを抱えながらやってきた。

「これなどいかがですか?」

「素敵ですけど、大胆じゃないですか?特に胸の所のデザイン。」

「いいえ、着てみて下さい。袖がない分手袋は刺繍やビーズをふんだんに使ったものにして、…うん、それがいいわ。耶恵様の理想にわたしのイメージをのせさせて下さい。」

耶恵のことなのに、楽しそうに目を輝かせるリカに押されるように耶恵は頷いて試着室に入った。


「手伝いますね。」

少しするとリカが試着室の重厚なカーテンを開け入ってきた。

「素敵です。とっても。」

「でも、なんか、」

「着てみたいと思っていたイメージに近いですか?」

「はい、イメージには近いんですが、…でも、その、」

「では、自信を持って下さい。自分に合うから、イメージを描けたはずです。耶恵様、自分が着たいと思った美しいドレスは、きっとあなたを幸せな気持ちにしてくれます。」

幸せな気持ち。リカもまた見抜いている。耶恵が先程義務として受け入れると言った言葉の真意を。

結婚という愛し合う二人が迎える最高のシーンへ向かう為に身にまとうウエディングドレス。まるで幸せへ向かうチケットのようなものだ。けれど耶恵にはそれが墓場へ向かう為の服。…その先は地獄。行き先が分かっていても、せめて気持ちだけは解放しておいたほうがいいとリカは言っている。


「そうね、素敵なドレスはきっとわたしを幸せな気分にしてくれる…」

「はい、その通りです。」

「ありがとう。うん、これにします。」




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