楽園のとなり
楽園のとなり
15
「じゃあ、明日。いつものところで。」
『いつものところ』その言葉は二人の間にある共通項を示している。そして、お互いが同じ穴の狢。
彼女は紺野沙耶佳(こんのさやか)。恐らく秘書課で最も恵まれた容姿を持つ人物に違いない。そして秋には結婚を控えている。相手は社外相談役の孫。
派遣スタッフながら3年近くこの会社に勤務し、結婚前に辞めることになっている。一時昔の一般職で入社の女子社員から見たら、絵に描いたような寿退社だろう。しかも、相手は大手商社マンというおまけすらあるのだから。
美貌、約束された生活、ステータス、どれをとっても不満などあるはずがない。けれども…
亜樹は彼女の声が今まで漏れてきていた携帯を握り締めながら、大きな溜め息をついた。きっと先週までの自分ならば、断れていたはず。でも、今はそれが出来ないほど心が揺れている。
原因は響子であり、雅徳。何より、自分の思い通りに進まない現実。
理想は、二人で暮らすうちに昔の二人の感覚に戻り、どちらともなく気持ちを伝えあい、昔とは異なり体でそれを感じあう。二度目のセックスは響子に一度目が間違えであったことを教え、そして女として本来の快楽を引き出すものであって欲しかった。
遅かれ早かれ、響子は雅徳と関係を持つだろう。雅徳とて、浮いた噂は聞かないまでも童貞とは思えない。上手い下手は分からないけれど、年齢分の経験はあるはず。
そのとき響子は?
感じるんだろうか、それともイクんだろうか?
考えるだけで、亜樹の体は狂いそうになる。暴走を始めようとする部分を自分の手で普段よりも強く扱くしか出来ない。
ここに引っ越してきてから、幾度となく響子を思い重ねてきた行為。それが今日は怒りにも似た気持ちが伴いながら弾けようとしていた。
「あ、もっと、深く、いい、そこ、あ、いいの、お願い、もっと、」
甘い声を震わせながら、目の前で沙耶佳が絶頂を迎えようとしていた。彼女の中はそれを収縮によって亜樹に知らせている。
その収縮は亜樹のペニスに更なる刺激を加え、もっと深い快楽を得ようと亜樹は動きを早めた。一心不乱に腰を振る亜樹の呻き声と沙耶佳のよがる声、そして二人の体が交わる部分から不埒に発せられる音。その淫靡な響きが、二人をより一層猥褻な行為に没頭させた。
胸の形が大きく変わる程強い刺激を加えていた亜樹の手が、彼女の突起を摘みあげた瞬間沙耶佳は果てた。そして亜樹も薄いゴム越しに全てを吐き出した。
「亜樹との、セックスが一番楽しい。」
息を弾ませながら沙耶佳が微笑む。その顔は本人の発言どおり嬉々としていた。
「本当に最近誰ともしてなかったの?そんなに強いのに。」
「してなかった。だらか見てみろよ、こんなに溜まってるじゃん。」
「えっち、何もゴムを見せてくれなくてもいいのに。だけど、すごい濃そうだし、なんだか強そうな精液。そんなの注がれたら、危険日だったら一発って感じ。」
「それより、薄くなるまで出させてよ。」
「もう、本当にえっちなんだから。」
「沙耶佳こそ。婚約者がいるのに、俺のを咥えたくてしょうがなかったんだろ?仕事中にもメール送ってくるくらいだもんな。」
「ふふ、結婚と楽しいセックスは別物でしょ?」
結局、亜樹と沙耶佳は10時過ぎまで、ベッドの上でもバスルームでもセックスを楽しんだ。まるで二人とも満たされない気持ちを体でうめるように。
今日は既に水曜だというのに、雅徳からは特に何のアクションもなかった。ただ、視線が合うと優しい表情が返ってくる。
何かを待つ気持ちと、勝手に浮いたり沈んだりしている気持ち、それらの全ては日中響子に得たいの知れない緊張を与え続けた。ノー残業デーの水曜だと言うのに、結局響子は何処へも寄らず帰宅することを選んだ。
ちょっとのつもりが気付けば響子はベッドの上でしっかり寝入っていたようだった。時間は夜の11時。亜樹は毎日どんなに遅くても10時くらいまでには帰ってきているので、どうやらその気配にも気付かなかったことになる。
亜樹はいつ帰ってきたんだろうかと思いながら、寝ぼけたまま響子は浴室へ向かった。
ちょっと熱めのシャワーは感覚を覚醒させてくれる。頭を洗いながら、響子は着替えのパジャマを忘れたことに気が付いた。もう水浸しの頭、今更部屋に戻ることも難しい。幸いいつも亜樹は響子を気遣ってか、リビングダイニングには夕飯とその後の1時間くらいしかいない。だからこのままシャワーを浴びて、バスタオルを巻いて部屋に戻ればどってことがないように思えた。
全てのネジが少しづつ緩んでしまっていたのかもしれない。
亜樹の生活態度も、響子の共同生活に対する意識も。
響子がバスタオル一枚を巻いたままで扉を開けたとき、そこには帰宅したばかりの亜樹がいた。
「…日下部君、ごめん、もう帰ってたと思って、」
恥ずかしさを押しのけながら、響子は小さな声で亜樹に話しかけた。けれど、亜樹からは何の返答もない。
「ごめん、こんな格好で…」
そこで響子の言葉は止まった。止まったというより、止められた。亜樹の両手に抱き締められたから。そして、耳元には『水森がいけないんだ』という亜樹の先ほどの響子の声よりも小さな呟きが届いた。
響子が何がという質問をする間もなく、亜樹は響子をそのまま自分の部屋へ連れ込んだ。たった一枚のバスタオルが肌蹴ないようにするのに精一杯で、響子はほぼ何の抵抗をすることもなくベッドの上まで運ばれた。
本当は扉を開けたところに亜樹が居たことだけで、一杯一杯だった響子にはもうここまでの展開についていくだけの余裕などなかった。
そして止めを刺すかのように亜樹がその言葉を放った。
「あの頃よりも、今の水森が好きでしょうがない。」