楽園のとなり

 

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そこに乱暴さはなかった。

亜樹の顔が向かってきた時は、自分でも体全体に変な緊張が走り強張るのが分かったくらいだったのに。思ったようなことはなく、落ち着きからか力を緩めた瞬間、それがまるで響子の唇をつつくようにキスしているのだと分かったほどだった。


キス、その事実を確認するとそれはそれで緊張する。

そして、亜樹の重み。けれども、優しく髪を滑っていく亜樹の指先が、まるで何も怖くはないと教えてくれているようだった。


優しいキスは唇だけではなく、次第に首筋、耳へと移っていく。くすぐったさの中にある高揚感。響子はただその不思議な感覚を味わい、亜樹を見つめた。


初めて亜樹に告白をしたとき、響子は何を望んでいたのだろうか?

あの頃はただ気持ちを伝え、受け入れてもらえれば良かった。きっとそんな可愛らしい感情のやり取りで満足できたのだろう。あわよくば、登下校を一緒に繰り返し、手を繋ぎ、そしてクリスマスやバレンタインデー、もしくは卒業式にキスをしたのかもしれない。そんな過程くらいしか、想像の範囲にはなかっただろう。


でも今は?

先ほどの亜樹の言葉への返事は?

選択肢は二つしかない。肯定もしくは否定。

この状況下での否定は好きに対する否定だけではなく、全てへの否定になるだろう。逆に肯定が意味するものは…。既に響子の年齢は、好きや嫌いという感情をぶつけるだけでは済まされなくなっている。どうしたってその先にあることを考えなくてはいけない。



唇を交わすのは何のためか。亜樹にとってはそれは、皮膚と皮膚が触れるということにしか過ぎないが。しかし、目的を表すなら、相手の官能を呼び起こし先々を期待させ体を準備させるため。もしくは、体に火を付けて浅ましく求めさせる入り口。いつからかそんな風にしか思わなくなっていた。


けれど、目の前で肩を震わせている響子に対してはその行為は言葉そのものだった。言葉にならない言葉。それを伝えるための大切な行為。

首筋に唇を添えると、微かな声が先ほどまで亜樹の体温を感じていた口から漏れる。その微かな声をもっと聞きたくて、更に優しく唇を滑らせると響子の体が小さく仰け反った。先ほどから辛うじてそこにある程度だったバスタオルは、亜樹の動きと響子自身の動きで片方の胸を完全に曝け出していた。


もう一度響子の唇を味わうと、亜樹は今度は顎から下の首筋へ口付けを。その刺激は、先ほどから響子の体に時折みられていた緊張をより一際大きくした。響子が緊張しているのは、その様子を見ていれば分かる。ただそれはこの行為へのものなのか、それとも自分へのものなのか…。確かめるためには、聞くしかない。


首筋への愛撫を続けながら、亜樹は体を浮かせ身に付けていたシャツのボタンを外していった。シャツを取り払うときには、既に響子の体からバスタオルは完全に滑り落ち余すところなく亜樹の視界に。


感じているのか、それとも緊張からか胸の先端は尖っている。まるで、亜樹に口付けてもらうのを待ち侘びるように。


「日下部君、」

響子が心許無げに亜樹の名を呼んだ。

それに応えるように、亜樹は再度長く深い口付けを。口の中で、舌を追いかけ絡め、更に響子を味わうかのような。そして、左手は右の乳房の柔らかさを楽しみながら、不意にその尖った先端へ刺激を何度も加えた。


響子を守りたい、それなのに今の現状では満足できない。この先へ進むことは亜樹にとって自ら決めた戒めを破ることになる。分かっているのに、響子の口から漏れる溜め息のような小さな嬌声。そして鼻腔を擽るような、石鹸の匂いが合わさった響子の肌の香。


その刺激は亜樹の本音を導き出すには十分過ぎる程だった。

「愛している…」

言葉にしてみると、それはとても簡単でどうして今まで言わなかったのか不思議になる程だった。


一度目はそこに愛情の欠片もなかった。あったのは、響子への嫌悪。行いが終わって残ったのは、後悔。

だからこそ今回は肌を合わせることが、愛を伝える素晴らしい方法だと教えたい。


ただ今の響子の姿は、亜樹から余裕を簡単に奪う。先ほどまで沙耶佳と何度も行為を繰り返し、時には激しく鷲掴みにし形が変わるほど扱いた乳房。歯を立ては、沙耶佳に猥褻な言葉を強要し、楽しんだばかりと言うのに。


ただ響子のそれは他の誰のものとも比べられない程、亜樹には美しく見えた。まるで虫が花の蜜に引き寄せられるように、亜樹は唇を滑らせ、響子の胸の頂を口に含んだ。



「あ、ぅ、」

今まで漏れていた声よりも大きなものが響子の口をついた。そして、体がまるで跳ねるかのように、反応してしまう。それまで響子はあまりの刺激に、途中から全裸であること、亜樹がシャツを脱いだことに意識がついていけなくなっていた。その現実が響子の前で進んでいくだけ。ところが亜樹の口に乳首が含まれ転がされた瞬間、意識と行為が重なった。そして一際大きく喘いでしまった。


先ほどぼんやりと聞こえた亜樹の告白。それは愛情を伝えるものだった。その告白を嬉しいと思う自分。そして、告白だけでなく全身でそれを表そうとする亜樹。まるでこうなるのが当然のように響子には思えた。


響子の両の乳房は亜樹の唇と指により、今まで経験をしたこともない感覚を得る。唇だけでなく、亜樹の赤い舌が何度も先端を突付く映像は、受ける刺激よりも淫靡だった。恥ずかしいから目を伏せたいのに、亜樹が幾度となくそうする行為はまるで崇められているようで目を背けられない。そのうち、響子の喘ぎも体の奥底にしまっていた火も大きくなっていた。


「響子をもっと愛したい、」

含んでいた乳首を亜樹が解放し、響子に向かって最後の扉を開くための言葉を。当然それが意味することは、経験が今までなかった響子とは言え容易く分かる。そして、響子は目の前の人間に愛されたいと思った。なのに、ここまで来て、微かな恐怖が再び目を覚ました。


何と答えればいいのか?

経験のない体が受けた官能のせいで、思考能力は落ちている。けれども恐怖心は思考とは別の本能がサインを送っている。


一瞬の静寂を破って、亜樹が再び言葉を発した。『愛している。』と。今回はぼんやりとではなく、はっきりと響子の頭の中にその言葉が届いた。更には、響子が大好きだった優しい亜樹の笑顔が向けられる。響子はただ訳も分からず小さく頷いた。亜樹はその仕草を確認し、先ほどより顔を綻ばせた。


再会してから、良い事など何もなかった。亜樹の蔑むような視線も、どこか侮ったような物言いも。それどころか望まない形で処女を奪われ、亜樹との高校時代の思い出までくすんだ。そして、友達の徒(いたずら)な駆け引き。それが亜樹を苦しめたこと。その苦しみと、今の亜樹が抱える苦しみの上に成り立った同居。


けれど今、目の前の亜樹の笑顔で全てが解放されようとしている。

響子は全てを乗り越えられると思った。



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