楽園のとなり

 

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白地のワンピースに跳ね上がったのは水だけではなく、泥も。

泥はスカート部分全体に広がり、水は体の線にぴったりと服をくっ付けている。明るさによっては下着が透けて見える程。


「この時間でも服を買えるような場所、知っていますか?」

時間は9時半。響子にはこの時間にこの辺で服を買える場所は思いあたらなかった。


さすがにこの格好では電車にも乗れない。

タクシーを拾うと言えば、雅徳が家まで送り届けてくれてしまうだろう。それは避けたい。亜樹と一緒に住んでいることが、何らかの形でバレてしまう可能性だってある。それに、亜樹にだって雅徳と一緒にいたことを知られてしまうのは嫌だった。

響子は女は、否、自分は虫の良い生き物だと思った。立場、都合ばかりを考えて動こうとしている。



その後、言葉もなく泥水を浴びたまま動かない響子を雅徳はショックで立ち止まっているのだと思った。実際は現状と自分の狡さに言葉をなくしていたのだが。


夏とは言え、ずぶ濡れなのはいけない。それに、その姿は体の線をそのままに現してしまっている。一人で歩かせるのも、一人でタクシーに乗せるのも良くない。着替えるにも、店は開いていないだろう。まさかコンビニで服など売っている訳がないのだから。


意を決して雅徳はとある提案をした。

「僕の家はここからそんなに遠くないし、乾燥機もあります。もし水森さんが僕を信用してくれるならば、うちで服を乾かしてから帰りませんか?」


響子の頭の中は、どれを取っても自分の立場を守れそうにない選択肢ばかりで正直困っていた。それどころか自分の狡さに苛立ちすら感じ始めていた。

冷静さを失っていたのかもしれない。躊躇することなく雅徳の申し出を受けたのは。


雅徳のマンションは驚く程殺風景だった。必要なものがそこには並んでいるのに、生活感がない。雅徳から普段受けるイメージとはあまりにも違う。


「奥がバスルームですから、どうぞ。それと、洗濯の間はこれを着て下さい。あ、洗濯機はバスルームへ向かえばわかります。勿論水森さんが使っている間、僕は洗濯機を使いませんから。」


下着までずぶ濡れなことに、雅徳が気を使っているのが分かった。洗濯機を使わないと言ったのは、響子に安心を与える為だろう。

更には雅徳から渡された着替えは厚手の短パンと厚手の長いティーシャツ。下着なしでそれを身に付けるのには抵抗があるが、濡れている下着を再度身に付けるほうがもっと抵抗がある。


ここまで来てしまった以上は、もう雅徳の厚意に感謝するしかない。響子は雅徳に指し示されたバスルームへと向かった。


自分達の関係をどう表したらいいのかは分からないけれど、やはり亜樹が心配するといけないと思い響子はシャワーを浴びる前に短いメールを送った。食事が済んでいること、帰りが遅くなること、そしてしろへのえさのお願いと、必要なことだけを書いたものだった。



シャワーを浴びたことで落ち着いた響子は、『今』を理解した。やはり先ほどまでは、雅徳の申し出、泥水をかぶったこと、下着が透けてしまっていること等が重なり思考力が低下していたようだ。


そして今の現状。

この状況はあまりいいものではない。けれども雅徳について来たことも、シャワーを浴びたことも既に過去。無かったことには出来ない。

洗濯機が終わるまでここに篭っているわけにもいかないので、響子は大きめの雅徳の服に身を包みリビングに向かった。


「ありがとうございました。」

厚手の生地を見にまとっている響子を気遣ってか、リビングは程よく冷えていた。


「テレビでも音楽でも、好きなように過ごしていて下さい。僕もシャワーを浴びてきますから。」

これと言って、特別刺激的な格好をしていたわけではないが、雅徳は響子の姿に一瞬目を奪われた。そうならない為に、厚手の服をこの季節にも関わらず貸したというのに。


襟ぐりから見える鎖骨、動く度に揺れが分かる布の下にあるだろう乳房、そして短パンからのぞく白い足。それだけで十分だった。

シャワーを浴びるということでその場からは逃げたが、戻ったら?冷静でいられる自信がない。何より体が反応している。


まるで十代のガキのようだと思いながら、雅徳はシャワーを浴びながら興奮を鎮めるため自らを扱いた。響子の先ほどの姿、そしてその先を想像しながら。小さな呻き声をあげ、白濁液を出すまでの時間は思いの外短かった。けれど萎えることなく、欲望が湧き上がってくる。自分の手ではなく、響子の中の感触を知りたいと本能が囁く。それこそ覚えたてティーンエージャー並だと雅徳は自嘲せずにはいられなかった。



シャワーを浴びている間、亜樹から二通のメールが来ていた。一つ目は響子の連絡とお願いに対する了承。もう一つは駅へ迎えに行くから、着いたら教えてくれというものだった。


亜樹との関係は一体何なんだろうか?ふと日中聞いた可南子と篠原の話を思い出した。二人は一歩一歩進み、その先にある一つ目のゴールである『付き合う』に向かっている。亜樹とはそんな過程もなく、日々体を重ねているだけ。



「何か飲みますか?」

考えを巡らせていたせいか、響子は雅徳が戻ってきたことに気付かなかった。

「あ、キッチンお借りできますか?わたし、やります。」

「いいですよ、気にしないで下さい。僕も一通りは出来ますから。」

「でも、それくらいはさせて下さい。」

響子の性格を考えると、ここはひかないだろう。雅徳は響子の気持ちを優先し、キッチンの使い方と必要なものの場所を教えた。


キッチンにいる響子を見ながら、雅徳はこれが毎日になればいいと思った。では毎日にするには?乾燥機が止まるまではもうそんなに長くはない。状況は有利に働いている。雅徳の領域に響子がいるのだから。


「どうぞ。」

響子がコーヒーを持ってきた。ローテーブルにはソファが一つあるだけ。響子の目はどこに座ったらいいのか彷徨っている。確かに然程大きくないソファに二人座れば、当然の事ながら距離は近づく。


「水森さんもこちらにお掛け下さい。生憎このソファしかないもんで。普段は一人なんでこれで十分なんですよね。」

雅徳は会話の中に自分に特定の女性がいないことを盛り込みながら、響子に座るよう促した。一番端ぎりぎりに座るのも変なので、響子は雅徳との少しの距離を保つ位置へ。


「ちょうど良い機会なので、そろそろ返事をもらえませんか?」

「返事…」

「そう、先日伝えた僕の気持ちに対する返事」

響子は可南子と篠原が羨ましかった。一歩づつ進もうとしている二人が。

横に座る雅徳を見つめながら、響子は雅徳とならどういう恋愛ができるのだろうと思った。


「その様子だとまだ答えはでていないようですね。もし良ければ、お互いを知るためににも試してみませんか?そういう関係を。」






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