楽園のとなり

 

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今日の外出先は大口の優良顧客だった。これと言ってすべきことはない定期訪問だが、だからと言ってすぐに退席は出来ない。営業マンの今後の思惑もあるだろうし。無駄な時間が過ぎ、結局先方を出たのは夕方だった。



「日下部さんの席に行くの、最近楽しみなんですよ。」

「俺の席?」

「はい。隣の人、確か水森さん、色は白いし、美人ですよね。かと言って、お高くとまってないし。ほら、うちの会社の女子社員ってプライド高そうなのが多いじゃないですか。」

亜樹は心の中でそう言うことかと合点がいった。恐らく次に出る言葉も分かる。


「彼氏とかいるんですかね?」

「さあ、いくら隣でもそういうプライベートな話はしたことがないからな。」

「小出さんあたり知ってるかなぁ。」

亜樹の心が警鐘を鳴らす。この一期下入社の営業部の小林は小出の合コン仲間だ。


「そう言えば、以前小出と話しているときにいないとか言っていたような。でも、いるんじゃないか。隣の席だから分かるけど、彼女綺麗なだけじゃなくて、性格もいいし。普通ほっとかないだろ、男が。」

「でもまだ分からないですよね。注意人物の日下部さんがその調子じゃ、まだ彼女に対して何もしていないってことですからね。」


小林に向かって、響子は自分の全てだと言いたかった。けれどもそれは響子の為には止めておいたほうがいい。なぜなら会社における亜樹の女性関係は褒められたものではない。亜樹との関係を示唆することで、響子のイメージ、否真実すら壊してしまう恐れがある。そうなってしまえば、軽い気持ちで響子に近づく男が増えるだろうし、同性からは根も葉もない中傷や噂の種にされるだけだ。


…、その言葉は亜樹に一つの諺を思い出させた。

『人の口に戸は立てられぬ。』

男である亜樹はあまり気にしなかったが、女性同士のコミュニティの中で響子に自分はどのように伝わっているのだろうか?今後の為にも亜樹は響子に、今までの自分のことを全て正直に話そうと決めた。早かれ遅かれ、大なり小なり、響子の耳に噂・真実が届くのは間違えないのだから。


全てを話すことで新たな自分になれる気がした。響子が傍にいてくれればそれが出来る。亜樹に過去を思い出させ、未来の像を描くチャンスを与えてくれる存在。好きかと聞かれれば好きだし、愛しているかと聞かれれば愛している。だけど、長い時間と経験を超え、今の亜樹にはそれらの言葉以上の存在に響子はなった。


最寄駅に着くと雨脚は一段と激しくなっていた。全てを洗い流してくれるような雨。亜樹は全てが許されるような気がした。





『愛するよりも愛される方が幸せになれる』、昔誰かから聞いたそんな言葉が聞こえた気がした。


雅徳は愛そうとしてくれている。

じゃあ、亜樹は?

そして響子は?


本当の自分の心の中を、ありのままに見通すのはこんなにも難しいとは。

響子の心の中には好きだと自覚した時からずっと亜樹の面影があった。大学時代に例え表面上誰かを好きになっていたとしても。そして響子は好きという感情は知っているが、その先を知らない。


雅徳と響子の年齢を考えれば、『好き』はその先の入り口にしかすぎないだろう。それくらいは分かる。そして雅徳ならきっとその先を優しくリードしてくれる気がする。それは一体どういうものなんだろうか?


知りたければyesと告げれば良い。そしてその返事を発すれば、今この瞬間から雅徳とは『付き合う』という状態になる。しかも形式的にはトライアルのような。


亜樹とのこの数日の行為によって、響子の体は女としての悦びを覚えた。それは、イメージしていたようないやらしさではなく、男と女が自分の体で愛を表現するものに思えた、本来なら。だから体が反応し、あんなにも乱れてしまうほど求めあうのだと思っていた。

そしてあの時点までは、亜樹に対し、好きの先へ進もうとしていた。それなのに、亜樹のセックスは愛情を表す手段ではなく、ただの性欲の解消だったなんて。そんなことを寸分も思わせない、あの表情、そして言葉。けれども、用がなくなれば、簡単に捨てられるのだろう。他の女性と同じように。


その時、響子はどうすればいいのだろうか?同じ屋根の下にいる二人には不幸な結末しか見えない。

今度は、亜樹はどんな視線で響子を見るのか?高校の時はまるで蔑むような視線だった。蔑みの次は?、きっともう用はないと言わんがばかりの視線なんだろうか。




じっと考えをまとめようとしている響子の瞳には、まるでミツバチが花の蜜に吸い寄せられるような力があった。

雅徳の右手は響子の黒い髪を一束すくいあげ口元に寄せると、そこに口付けた。



無意識下の行動。

その事実に響子以上に雅徳が驚いた。

「あ、ごめん、つい、」


焦りからか、雅徳の話し方は友達と話すような口調になっていた。そして『つい』の先がつながらない。響子に話せる理由などそこにはないのだから。

その流れるような黒髪を掬ってみたかった。そして、触れたかった。それだけ。


一つの欲望は、次の欲望を引き起こす。雅徳はその細い肩を引き寄せ、直接響子の体温を感じたいと思った。けれどもそれは今の二人の関係においては許されない。雅徳の理性は欲望を抑える為、その瞳から視線を外すよう警告した。


警告に従い視線を落としてから思い出した、そこには先ほど自分を昂らせた服をまとっただけの響子の体があることを。響子の二つのふくらみの頂は緊張からか硬くなっている。厚めの生地だから、少ししかそれは見てとれないが、逆に言えば厚めの生地でも分かるくらい立っているということだ。そこに指先で、そして舌で刺激を与えたらどんな鳴き声を発するのか?更には、甘い痛みを歯で与えたら、どんなふうに悶えるのか?

見てみたいという欲望が理性を押しやる。


けれども、最後は理性がそれを押し止めた。欲望に身を任せるリスクは今得る快楽より、はるかに大きい。築いてきた響子との今までの関係は失いたくなかった。


再び響子の顔を見ると、長い睫は驚きからなのか、それとも緊張からなのか微かに震えていた。

そんなに怖がらないで欲しい、そう思うが否や雅徳は優しくそのまぶたに口付けていた。押し止めたはずの欲望が溢れ出るのは簡単。雅徳は響子のまぶたに、頬に何度も口付けると同時に直接肌に触れた。滑るような肌。そして、先ほど気になった場所に手を伸ばすと、思ったとおりだった。固くそそり立ち、その先の行為を急かしている。親指と人差し指で強めに摘むと、響子の口からは甘い音色がもれた。






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