楽園のとなり

 

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こんなに誰かを求めたことが今までにあったであろうか。今、響子を求める気持ちは高校の時など比にならない。一緒に暮らすうちに彼女の一挙手一投足を知らないうちに目で追い、全てが愛しくなっていた。


体の関係を持った今、一緒に住み始めた頃の思い—そう、響子が亜樹との間にあったことを克服するまでなどという期限を守れるはずはないだろう。


レイプ紛い、否、響子にとったらレイプそのものだった初めて。体を重ねるようになってからは、それが少しでも本来は愛を交わすものだと分かってもらいたくて、亜樹の全ての愛情を注ぐように優しく包みこむよう抱いてきた。

今まで女性をそんな風に抱いたことはないというくらい大切にし、尚且つ最高の悦びを感じてもらうため響子の反応を見ながら高みに昇りつめるようにしてきた。

勿論そうすることで、亜樹が得た至福の時間は計り知れないが。



亜樹の力強い腕が響子を逃さない。そして、その眼差しが怖かった。

色々な場面でいつも思っていた、今なら引き返せると。けれど、いつもその眼差しに負けていた。体を重ねているときに亜樹の口から漏れる愛しているという言葉が、本当に愛を語っているように感じられていたのに。


きっと亜樹の愛は儚いものなのだろう。脆くて、長続きなど決してしない。本当の愛を亜樹に求めてしまいそうな…、残念ながら既に求めてしまっている響子にはこの先にあるのは自己の愛の破滅に思える。一度ならずとも二度も亜樹によって人を好きになり愛する感情を壊されてしまうのだろうか。

高校の時より、今の方がその衝撃は大きい。きっと亜樹の体温を知ってしまった今のほうが。


結局、視線を外せず、唇からの体温を求めてしまっている自分がいることが滑稽だった。ところが亜樹は何度か触れるだけのキスを繰り返すと、その行為をやめてしまった。


「響子の部屋へ行きたい。」

その亜樹の言葉が本当に意味しているのは響子の部屋のベッドということだろう。同居をする前の約束通り、その部屋には鍵が付いている。亜樹の部屋に響子が出入りできるのとは違い、響子の部屋に入るには鍵と響子の意思二つが揃わないといけない。その部屋の扉が開くということは、亜樹にとって大きな意味を持つ。


「話し合うことはもうないと思う。ましてやわたしの部屋で話すようなことなんて。」

「終わりは簡単には来ない。今となっては、終わらせることなんて出来ないんだから。きっさ響子、言ったよな、愛を知らないって。そんなことはないよ、だって響子が俺に愛を教えてくれたんだから。」

「日下部君のは、愛じゃなく、ただのセックスよ。愛とセックスを取り違えているだけでしょ。だったらわたしには教えるほどのセックスの知識なんてない。誰か本当に快楽を求め合える人とすればいいだけでしょ。わたしは、…わたしには、無理。愛が伴わないセックスをして、それを楽しむだけなんて。」


快楽を求め合うだけのセックス。響子は無意識の内に沙耶佳を意識して言葉を発していた。発したその瞬間までは無意識だったのに、それが音となって自分に返ってくると、いかに囚われているか思い知らざるを得なかった。



「ここじゃなく、ゆっくり話そうと思ったけど、」

「何を?」

「その前に1つ確認させて欲しい。御厨さんとの間には何かある?」

沙耶佳のことを意識させるような発言をしておきながら、雅徳のことを言われると後ろめたい部分が響子にこみ上げてきた。


「何で御厨さんの名前がここで、」

「ちょっとね、この間から気になることがあって。」

響子の鼓動は早さを増しながら、それと同時にどうして亜樹の口から雅徳の名前が出たのか不思議で仕方なかった。


「日下部君に気にしてもらうことなんか何もない。」

「何もないならいいけど。いやあったところで同じことをするだけだけどね。」

「何をするっていうの。」

…結婚、しよう。」

「けっ、こん?どうして?」

「結婚の理由?愛する人のそばにいたいから以外の理由があるとでも?俺は打算で結婚を考えたりはしない。」

「でも、日下部君、あなたは…、」

(きっと逃げてしまう。本気になったら。沙耶佳さんは確かにそう言っていた。それが結婚という形式をとったところで。結婚が紙切れ一枚で成立するなら、離婚も紙切れ一枚。紙切れ同様にわたしも捨てられるだけ。簡単に。)

肝心なところが声にならないまま響子は亜樹を見据えた。



響子が言葉を失っているのは見て取れる。

話は単純明快なはずだった。

高校時代に惹かれあった二人が偶然再び再会する。そしてあの頃の気持ちが色褪せず、ひょんなことから同居をして、そのまま結婚。

ところが、その骨組みを装飾している事実が悪すぎた。

…わたし、日下部君とは結婚なんかしない、したくないの。」

言葉を失った響子が次に発した言葉は否定だった。

亜樹にしてみれば、今このタイミングで言ったのだからそう返ってくることは予想通り。ただ、やはり響子からの否定の言葉は堪える。


「どうして?俺はさっき響子の質問に答えた。今度は響子が答えてくれ。」

……好きな人が出来たから。もう、支えは必要ない。」

支えは必要ない、その言葉は同居を始めたころに亜樹が響子に言った言葉そのもの。亜樹はそれまでのつなぎ。響子は暗に亜樹の役目が終わったことを示唆している。


「この答え、言ってる意味、分かるよね。わたしたちの、この生活、終わるって。確か、これが今のこの同居をするにあたって日下部君が言った言葉。」

「言ったことは覚えている。だけど、分からない。その答えがどうして、急にふってわいてきたのか。おかしいだろ。俺たちの生活のどこにそんな隙間があったんだよ。」

「隙間、そんなものは、どこにだってあるでしょ。隙間だらけよ、むしろ、、、簡単に人はその隙間に落ちるものなんだから…」

話を続けたところで、平行線だろう。でも、続けたほうがいいと亜樹は思った。ここで止めてしまったら、その線は距離をとり始める。響子の感情が不安定になり始めている今なら、手がかりをつかめるかもしれない。何がトリガーになったのか。




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