楽園のとなり

 



コンビニの袋の中身は亜樹の下着やら洗面用具。それにお菓子とジュース。


まるで彼氏が彼女の部屋にお泊りに行くようだと響子は思った。実際そんな甘い関係ではないが。


「どうぞ、入って。荷物は適当に置いて、中で座ってて。お茶でも淹れるから。」

「あ、うん。ところで、水森のアパートってこれが3回目だけど、ホント覚え易いところにあるよな。入り組んでいて死角が多いのも危険だけど、これはこれで危険だと思う。」

「うん。」

亜樹の口から出る危険という単語に、響子は頷くしかなかった。現に、あの日亜樹は響子の後を追っただけで再びここに訪ねてこれた。それ程覚え易い道のりということだ。


二人は間近に迫った、風呂・寝る場所等々を話し合い、その日は就寝した。




翌日、やはり緊張のせいか響子はいつもより早めに目覚めた。

最終的に響子がベッドで寝ることになったので、朝食を作るために小さなキッチンに行くには、亜樹がいるとろこを通らなくてはいけない。


残念ながら響子には今まで彼氏がいなかった。だから男物の服が一つもない。

寝るときは下着のみなのでしっかり毛布に包まっていた亜樹だったが、朝になれば肌蹴て寝入っている。


その寝顔を見ながら、響子は自分達にあんなことがなかったらどうなっていたのだろうかと思いを巡らせた。そして、そんな自分がいることに不意に恥ずかしさがこみ上げた。


簡単な朝食の準備をし、振り返った響子の視界には、頭がぼさぼさで上体を起こしボーっとしている亜樹の姿が映った。とても悪そうな寝起きに、一瞬身がたじろいだものの食べる場所はそこしかない。

「あの、起きてくれる?じゃないと、朝食が…」


少しして、状況を理解した亜樹が慌てて立ち上がった瞬間だった、それが現れたのは。


いくら彼氏がいなかったとは言え、響子にも理解はできる、男性の生理現象くらい。


亜樹が小声で何かを言いながら、股間を押さえてトイレの方へ消えていっても、響子は暫く動けなかった。


普段の亜樹は、家をでる少し前にスーツを纏う。でも、今日は窮屈だけれども先に着るしかない。

バスルームの脱衣スペースで響子に持ってきてもらったものをとにかく着た。


結局、朝食は冷めてから二人の口に。

そして必然的に二人で会社へ向かうことになった。


「ごめん、結構気疲れしたんじゃない、ちゃんと寝れた?」

「実は最近になくよく寝れたんだ。で、朝はボケてて、さっきは…。」

「さっきは?」

「あ、いいよ。それより、同居するまではどうするか考えないとな。」

「え?」

「だから、住むところは週末本腰を入れて探せばなんとかなるけど、引越しまではムリだろ。でも、どこのどいつだか分からないヤツが水森のアパートって言うか、部屋まで知ってるわけだろ?」


亜樹はわざと響子の痛いところを突くように話をした。自分に向きつつある風向きを確かなものにするために。


会社の最寄駅に着くと、二人は別々に会社へ向かった。流石に一緒に歩いて会社に行くのは憚られる。


響子が自分の席に着くと、既に亜樹は涼しい顔をして席についていた。


「亜樹ちゃん、同じネクタイじゃん。」

小出が楽しそうに亜樹をからかっている。


「家に帰ってないから当たり前だろ。」

当然という風に亜樹が小出に返す。

それを横で聞いていた響子は自分の顔が熱くなるのを感じた。


「あれ、水森さん、どうしたの?顔、真っ赤。」

「え、あ、その、」

「ああ、水森さんには、亜樹ちゃんの破廉恥さがもう赤面ネタなんでしょ?そうだよね、女の所へ遊びに行って次の日同じネクタイで会社来ちゃうんだから。でも、慣れないと、水森さん、コイツしょっちゅうだから。」

「うるせえ、黙れ、小出。」


小出が話した内容は事実。今まで、ずっとちゃらんぽらんで、女の所から出社した回数は数え切れない。響子が現れなければ、恐らく体力の限界が来るまで繰り返していただろう。


ばつが悪いとはこのことだと亜樹は心の中で思っていた。




二人は業務終了後、昨日と同じところで待ち合わせをして不動産屋で明日のアポを取ってから亜樹のマンションへ。

響子は何度か断ったけれど、最終的には亜樹の『昨日は自分がいたから何もなかったけれど、一人になったとたん何があるか分からない。』という言葉に押し切られてしまった。


金曜ということもあり、亜樹はスーツからラフなスタイルに着替え、何やら大きめのスポーツバッグを抱えていた。

途中簡単に夕食を済ませ、二人でスーパーで買出しをして帰った。


響子の性格なのか、癖なのか、来客には飲み物をだす。

この日はほうじ茶を淹れた。


「ほうじ茶なんて、久しぶり。って言うか、一人暮らししてるとお茶なんか飲まないから。」

「私もあんまり色々なことはしないけど、お茶だけはちゃんとあるんだ。」

「じゃあ、キッチンは少し大きめなダイニングもくっついてお茶がゆっくり飲めるところを探さないとな。」

「そのことだけど、」

「大丈夫。きっと良い物件が見つかるから。お互いが気にせず過ごせるように振分式で、尚且つペットも飼えるところが。」


響子が言おうとしていたのは物件に対する悩みではなく、同居自体を止めようということであるのは亜樹にも分かっていた。けれど、わざと話をはぐらかし、優しく響子を見つめる。


昔を思い出させる亜樹の優しい顔を見てしまうと、響子はそれ以上何もいえなかった。




次の日、二人は不動産屋へ。途中会話らしい会話はなかった。


不動産屋のカウンターでも、響子はどうして自分がここにいるのか、どうしてこの話をなかったことにしようとしないのか自問自答を繰り返していた。


不動産屋の若い営業マンは愛嬌のある笑顔で、亜樹から要望を聞きだしていく。時折、響子に話を振りながら。

そのたびに、話が一歩一歩進んでしまっていることを響子は認識せざるをえなかった。


引越し時期ではないので営業マンも一件でも多く話をまとめたい。そんな要因が手伝って、その日のうちに4件の物件を見てまわった。


そして最後に亜樹が響子に質問をした。

「どれがいい?」


それは、今日見た4つの中から強制的に選ばせる質問。


その質問に営業マンも追随する。

「そうですよね、やはり家は最終的には女性の好みですからね。キッチンとか動線とかも考えて決めて下さいね。」


その笑顔に断る術を知らない響子は、震えるような声で一枚の間取図を選んだ。


亜樹は、それから30分としないうちに引越しの手配も終わらせてしまった。


びっくりすることに引越しは来週。お互い現在の不動産屋に今の賃貸契約を打ち切る電話をすぐにして、最短の契約解除をお願いした。もちろん、溝に捨てる家賃はあるが、亜樹の言葉を借りるとお金よりは安全の方が重要とのこと。


問題は残りの一週間。


そして、その解決方法に響子は驚いた。亜樹が響子の部屋に一緒に住むというのだ。それを断るのならば、響子がしろを連れて亜樹のマンションに来るしかないと言われた。


断るタイミングは所々にあったはず。なのに、全てのタイミングを逃してしまった響子には、もうどのみち同居をするのだからそれがいつから始まろうと大差ないという考えしかわいてこなかった。


最終的には、残り一週間は亜樹が響子のアパートに来ることになった。

使い勝手の分からない亜樹のマンションへは行けないというのが響子の理由。


亜樹はそうなることを見越していたようで、その日の夜は大きなスポーツバッグから何やら私物を色々と取り出した。


「日下部くん、なんか準備が良すぎない?」

すこし嫌味を含んだ物言いにも、亜樹は涼しい顔で返す。

「そ、かな?、どうせこの週末は水森と過ごすつもりだったから持ってきただけだけど。だけど、一週間お世話になるんなら広げさせてもらおうと思ってさ。」

「…」


亜樹の言うことは筋が通っている。

けれども、話があまりにも亜樹の都合のいいよう進んでしまうことが不思議でならない。


もっと不思議なのは、響子自身。これで自分をレイプした人間との同居が確定したのだから。




Back    Index    Next