作法教室

 

東郷敦美(とうごうあつみ)様の場合




そんな訳で始まったこの作法教室。わたしと他の4人の目的はかなり違うけど。


毎朝の起床時間は7:00。休みなのに何故こんなに早くから起きなきゃいけないのか…。


しかも7:30に1F玄関広場に集合して『朝の散歩』とやらへ出掛けるらしい。それも30分も。


でも、まあ、窓から見る限りは素敵な景色だから散歩もいいかも。


集合してみると驚くことに、お嬢様たちはわたしのように腑抜けた顔ではなく、シャキットしたつやつやの顔をしていた。

一体何時に起きたのよって感じ。


わたしたちのお世話係、兼、お作法の先生である石川さんが今日のルートを説明する。説明されたところで何が何だかって感じだけど、お嬢様たちは頷きながら聞いている。ま、庶民捨て山があるわけではないようなので、どこかに置き去りになることはなさそう。


出発してから少しすると、何故かわたしは東郷敦美さんに吸い寄せられた。

「敦美さん、一緒に歩こ?」

「はい。芙美花さん。」


敦美さんはわたしより一つ上。大学生なんだって。とっても綺麗な黒髪で、陶磁器のように色が白い。


色が白い人の例えで、陶磁器という言葉があるのは知ってたけど、そんな肌があるわけないと今まで思っていた。

でも、いた、ここに。

本当に綺麗な肌。あ、顔も、う〜ん、悔しいかな珠樹よりは落ちるかもしれないけど、美人。もっと悔しい言い方をすると、珠樹は一番きれいかも。


少し歩くと敦美さんが質問をしてきた。

「芙美花さんは、本当に作法教室だと思って参加したんですか?」

「わたしだけじゃなく、うちは家族全員そう思ってましたから。」

けど、もしかしたらおばあちゃんは知ったいたかも。


「そうですか、それではしっかり習えると思います。西園寺家はとても格式が高いので。でも、わたくし少しほっとしました。」


ほっとする、それってライバルが一人減るから?こんなに色白で綺麗な人なのに、心は結構ブラック?


「まあ、どうしたんですか?わたくし何か変なことでも言いましたか?」

「あ、いえいえ。でも、どうしてほっとするんですか?」

「ふふ、だって、わたくしもそう思うことにしたから。」

「は?」

敦美さんの言ってることが分からない。


鎌をかけるつもりで『どうしてほっとするか』なんて聞いてはみたけど、不思議な答えが返ってきてしまった。


「だって、作法教室だと思えば気が楽でしょ?」

気が楽…、それって結構本気モードだから楽って思いたいってこと?それとも…よく分からない。


「芙美花さん、もしよろしければ午後のお時間が空いているときに、わたくしとお茶の時間をしませんか?」

「お茶って…、」

「ご安心下さい、茶道ではありませんから。普通にお茶をいただきましょう。」

そう言って微笑む敦美さんからは、わたしがさっき思ってしまった腹黒い部分なんか感じられなかった。



敦美さんへの疑問を持ちながら、2時までの作法教室を今日は無事に乗り切った。


4時過ぎくらい、それが敦美さんに言われた時間。だから、指定通り4時を過ぎた頃部屋をでて敦美さんの部屋に向かった。


ノックをして中に入ると、昨日からの見たままの敦美さんがそこに。

わたしとしては、実はみんなの前以外だととんでもない人になっているのではという期待があったけど、それはなかった。


センターテーブルの上には、何だっけ?イギリスのハイティー?だっけ、銀色の丸いトレイが3段くらいになったやつとティーポットの準備が既にあった。


「良かった。お見えになってくださって。」

そういう敦美さんの笑顔は本当に綺麗。こんな美人に笑顔を向けてもらうことなんてこの先何回あることやら。


「あ、お掛けになって芙美花さん。」

「ありがとうございます。」

「芙美花さん、そんなに恐縮しないで。簡単な焼き菓子を飯塚さんにお願いしたんだけど…、なんだかすごいことになってしまって。」


どうやら敦美さんは、わたしがお茶のセットに目を丸くしているのに気付いたらしく、言葉をかけてくれる。

この人はお嬢様なんだろうけど、あ、お嬢様なんだけど、普通の人の心を理解しようとしてくれている。


「紅茶はお好き?」

「はい。」

何やら香りのいい紅茶が、ティーポットから注がれる。飯塚さんもそうだったけど、敦美さんもそれは優雅にお茶を注ぐ。思わず見惚れてしまう。


「はい、どうぞ。」

「あ、ありがとうございます。」

「せっかくこうして何かのご縁で同じ時間を過ごすことになったんですから、仲良くしてくださいね、芙美花さん。」

「はい、あ、こちらこそ。ところで、今朝、ホッとしたとか、敦美さんも作法教室だと思うことにしたとかお話してくれましたけど、どうしてですか?」


単刀直入に敦美さんに疑問をぶつけてみた。


「あ、芙美花さん、スコーンにはこのジャムとクロテッドクリームをつけて召し上がって下さい。」

「クロテッドクリーム?」

「はい、この生クリームのようなクリームです。」


最初にスコーンを食べようとしたわたしがいけないのか、うまく敦美さんに話を逸らされたのかは分からないけど、気付けばクロテッドクリームとやらの話になってしまった。敦美さんが言うには、紅茶に入れても美味しいとか、なんだとか。


気付けば、本当にお茶をしながらどうでもいい話に花を咲かせていた。


けれど、その脱線した話を敦美さん自らが引き戻してくれたのには驚いた。


「芙美花さんは珠樹さんと同じ女子高なのね。」

「はい。うちは普通の家なんですけど、珠樹さんとは同じ学校なんです。不思議ですよね。」

「芙美花さん、家柄なんて関係ありませんわ。ご本人がその中でどう過ごすかが一番大切だとわたくしは思います。」

「はあ、」

敦美さん、それはお嬢様だから言える一言で、実際に中にいると結構肩身が狭いもんなんですよ。


うちの学校だって全員が全員生粋のお嬢様ではない、勿論。でも、何故か、そういうところに来る一般のおうちの子は大きな会社にお父さんがお勤めしている。うちのお父さんの年収とは全然違うだろうし。だから彼女達も、お金には不自由はしてないみたい。


「高校に入るまでは共学でしたの?」

「はい。小中学校は、近所の普通のところに行ってましたから。」

「誰か好きな方とかは?」

「ま、普通にいましたよ。告白したことはなかったですけどね。」

「ふふ、残念。芙美花さんに告白されればほとんどの男の子が良い返事をくれたんじゃないから。」

「敦美さんは?、そうだ!、大学生なんだから誰か好きな人は?、あ、でも、お嫁さん選考会に来ているんだから、そんなことはないですね。わたしったら一人で盛り上がって話しだしちゃって、」


「…います。」

「はいっ?」

「いるんです。」


しばし沈黙。どうしよう、この先どう話をふっていいものやら?


「わたくし、実は心に決めた方がいるんです。そんな気持ちのままここにいるのは忍びなくって。でも、父の言葉に逆らうわけにもいかなくて。そんな折、芙美花さんの作法教室という言葉には救われました。何より、今回ご参加された皆様を見る限り、わたくしが選ばれる確立は皆無のような気がしますし。」

「そんな、敦美さん、わたしが選ばれることは皆無だけど、敦美さんは高い確率でありえます。」


「ふふ、芙美花さんたら、お上手なんだから。」

「違いますって、敦美さん。こういうときは悪いことを考えて危機管理をしなくっちゃあ。」

「危機管理?」

「そうです。もし、選ばれたらどうするんですか、断れます?」

「………。」

これだからお嬢様は甘いのよ。この危機管理も重要だけど、それより、きになるじゃない、この敦美さんが好きな人ってどんなだか。


「ところで、敦美さん、どんな人が好きなんですか?今後の参考のためにも教えて下さい。」



敦美さんは懇切丁寧に自分の好きな人について話してくれた。19歳の敦美さんが好きなのは、5歳年上の真田和磨(さなだかずま)さん。敦美さんのお兄さんの学生時代の友達なんだって。

何がすごいって新聞配達をしながら、奨学金を得て大学を卒業したこと。

すごいよね。でも、この事実が意味していることは真田さんがお金持ちではないってこと。しかもお父様を早くに亡くしているんだって。でも、本人はすごく明るいし、優しいしって敦美さんは恋する瞳で語ってくれた。


「真田さんに気持ちは伝えたんですか?」

「え、まだなの。何て言ったらいいか分からなくて。」


それから夕飯の前までは、敦美さんの恋を成就させるべく話し合いが続いた。



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