作法教室

 

飯塚妙(いいづかたえ)さんの場合




「芙美花様、どうですか、その後お作法は?」

「飯塚さん、今は二人きりですよ。だから、様はいりませんてば。」

「ま、そうでしたわね。」


この温和な顔立ちと温和な雰囲気をかもし出しているのは、ここの管理人さんこと飯塚妙さん。


今までの会話の端々に、うちのおばあちゃんと過去に於いて深い知り合いであることが伺える。


「あの、明日の午後なんですけど、また大森さんにお菓子作りを教えていただきたいんですけど。」

あ、大森さんて言うのは、ここの厨房のお手伝いとその他諸々をしにきているお兄さん。ちょっとカッコいい人で、特にお菓子作りを得意としているみたい。


「かしこまりました。では、犬養さんに伝えておきますね。」

犬養さんは、わたしたちに美味しい食事を提供してくれている人。ま、ここでは大森さんの上司?になるのかな。


「ありがとうございます。敦美さんにも伝えなきゃ。」

「あら、敦美様もご一緒なんですね。では、大森さんにお二人分の材料を用意していただくように伝えておきますね。それにしても、芙美花さんは随分敦美様と仲良くなったんですね。」

「はい、あ、最近は清佳さんにも親しくしていただいていますよ。」

「さすが芙美様のお孫さんですね、どなたとでも仲良くなるところは。」

「おばあちゃん?、そう言えば、飯塚さんとおばあちゃんは古くからのお友達のようですけど、どういう知り合いなんですか?」

「そうですねぇ、芙美様は友達とおっしゃってくれますが、わたくしはいつも芙美様を恩人だと思っております。」

「恩人?」

「はい。」


そう言って過去に思いを巡らす飯塚さんの表情はとても柔らかくて、だからきっと二人は本当に良い時間を過ごしたのが分かる。


「どういう恩人だったんですか、うちのおばあちゃん?」

「そうですね、いつかは分かることでしょうから……、では、あちらでお話をしましょうか?」


飯塚さんはそう言って、わたしを日当たりのいい応接室へ促して、自分はお茶を取りに行ってしまった。


「お待たせいたしました。」

香の良い紅茶とともに、飯塚さんが戻ってきた。


いつも思うけど、飯塚さんは本当に優雅に紅茶を注いでくれる。


「良い香、ここに来て、紅茶がとても好きになりました。それに、ゆっくり紅茶を楽しむ時間も。」

「まあ、それは良かったわ。是非残りの滞在中もお楽しみ下さいね。」


それから飯塚さんはおばあちゃんとの出会いを教えてくれた。




「わたくしの娘時代は、残念ながら見えない階級が人を支配していました。当時の芙美様はまさしく雲上人で、わたくしには接点のまったくない方だったのです。


わたくしは貧しい家に生まれた末娘でしたので、物心ついたときには、自分の家の家計状態では上の学校に行けないであろうことを理解していました。ですが、学校へ行きたいという願望は日に日に募り…、容易くは捨てられないでいました。そんな折、わたくしと芙美様が知り合う切欠となった女学校の特待生制度を知ったんです。なんとしても、勉強をしたかったわたくしは寝る間も惜しんで勉強をしました。そして念願叶って、入学できたのです。


学費は免除でも、通学費やら教材代等は必要でした。ですから、家への負担をかけまいと昼食は粗末なものですましておりました。


周りのお嬢様たちに自分の昼食を見られたくなかったわたくしは、たいてい中庭の隅でこっそりと食事を済ましていたのですが、ある日芙美様に声をかけられました。


芙美様はそのお家柄、容姿から学校で知らない人間はいないほど有名でした。だから、一瞬どうして自分が声をかけられたのか理解できなかったくらいです。


『驚かせてしまったみたいね。ご免なさい。わたくしは2年の二条芙美と申します。』

芙美様は貧乏特待生のわたくしにすら自ら名乗って話し始めました。


『1年の飯塚妙と申します。』

『では、妙さん、今日はお天気がいいのでわたくしもお庭を眺めたいと思いまして、ですのでここでお食事をご一緒してもいいかしら?』

断る理由はありません。ですが、本音はご一緒したくありませんでした。娘時代ですから、これ以上自分が惨めな気持ちになるのは嫌だったんでしょうね。


芙美様は立派なお重を広げだして、わたくしに言いました。

『わたくし一人では食べきれないので、妙さん、手伝っていただけませんか?』

喉から手が出るとはまさにこのことでした。ですが、自分が芙美様には物乞いのような者が学校にいるとしか思ってもらえてないことも理解させられました。


わたくしの馬鹿なプライドでした、その一言は。

『結構です。先程昼食を済ませたばかりですから。』


ですが芙美様はそんなわたくしの物言いを気にすることなく続けました。

『妙さん、これはわたくしの驕りではありません。脳が活動するには十分な栄養が必要です。あなたは特待生ですよね、でしたら尚更わたくしなんかよりも頭に栄養がいってしまうわ。しっかり食べないと、体がまいってしまいますよ。わたくしはね、世の中の不公平さを常に感じています。あなたのように、立派な方が勉強をする場は少ないのに、お金や階級で意味もなく勉強する場所に来るだけの方がいる。可笑しな話ね。』


そういう芙美様の顔は、そう、とても悲しそうでした。

そしてわたくしは芙美様から差し出された箸をとったんです。芙美様は他のお嬢様方と異なり、何人かいる特待生、即ち身分が違う人たちとも何の差別もなく接して下さいました。気が付けば、芙美様を囲んで何人かの特待生が昼食を共にするようになっていたのです。


芙美様はわたし達に、我が家の料理人が喜ぶわと言いながらいつも昼食を分け与えてくださっていました。そして、その時間の会話と言えば、これからの女性のあるべき姿についてでございました。


わたくしがおなかを空かすことなく、勉学に励むことができたのは芙美様のお陰なんですよ。ですから先程恩人という言葉を使ったのです。まあ、他にもお世話になったんですけどね。」


そういう妙さんの表情からは昔を懐かしんでいるのが伺えた。

このものが溢れている時代とは違って、おばあちゃんが若い頃って戦争とか軍の階級やら華族制度の階級やらで確かに色々あったらしい。

そんな中で、ちょっと誇りに思う、うちのおばあちゃんて若い頃、格好良かったんじゃん。



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