作法教室

 

西園寺邦和(さいおんじくにかず)様の場合




この屋敷にはテニスコートもある。このテニスコートがとにかくここは軽井沢だと主張している気がする、庶民のわたしとしては。


そして、どうやらわたしたちの王子様こと西園寺一樹様も当然のことながらテニスを嗜むらしい。


だからかどうかは分からないけど、お作法の時間の合間にテニスの時間が設けられている日なんかもある。ボレー、何それ?状態のわたしにはかなり辛い時間だけど。なんせラケットだって今まで握ったことがなかったんだから。


わたしを除く4人は一樹(はっきり言ってわたしとしては心の中ではいつも呼び捨て)を見たことがあるんだって。でも、わたしは勿論見たことない。ただ、テニスコートでラケットを持って金持ちらしく(わたしにはそう見える)にっこり微笑んでいる中学生のときの写真をみただけ。あ、コートに向かう通路手前の廊下に飾ってあったから。


別に一樹のお嫁さんになりたい訳じゃないけど、こんな会、違った、作法教室に参加してると多少はこの一樹って人物に興味がわく。


どんな人なんだろう…。ま、最後の一週間になれば嫌でも分かるだろうけど。




作法教室14日目の夜、そいつは現れた。


ここに来てからは22時には自室へ向かい、23時にはしっかりベッドの中という健全な生活をしている。だって、朝はなにげに早いし。何より、やっぱり今まで慣れ親しんでいないことは疲れる。

だけど敦美さんと清佳さんから分けてもらったクリームでするマッサージのお陰で、わたしの肌も朝からつるつる。


今までの生活で目にしたことがなかったドレッサーの前で少しのクリームをしっかり伸ばしていると、このお屋敷にしては珍しくこんな時間に開いている窓から話し声と物音がしてきた。


泥棒。

一瞬そんなことを思ってしまった自分を叱咤する。初日に自分も経験したあの立派な警備システム付きの門が、そんな人達を許すはずがない。

じゃあ?


ここはやっぱり覗きに行かないと。

でも、覗いたことろで…。きっと泥棒は侵入無理だから、やっぱり寝よ。だって、覗きに行ったところで何でもなかったら勿体無いし。


結局、ここでの生活に慣らされて、実は眠かったりする。なのに、覗きに行く手間を省くと言わんばかりに扉が開いた。ノックもなしに。


「あれ、」

否それ、わたしの言葉です。


「あんた誰?、もしかして、俺に今晩あてがわれているとか?…まさかな、あのばあさんがそんな気の利いたことはできないよな。」

目の前の男の人は、何やらブツブツ言っている。どうやら身形からして泥棒ではないみたいだけど…、あんたこそ、誰?

ん、でも、待って、この顔、今日もなんとなく見たような…


「さい、そうだ、西園寺、」

「なんだよ、人の名前を、」

わたしの一樹という言葉と目の前の男の次に出そうとしていた言葉は、開いている扉になされたノックに止められた。そして、そこには飯塚さん。


「芙美花様、誠に申し訳ございません。その、お部屋連絡の手違いがありまして…。お坊ちゃまは、もう一階上の同じ場所です。」


「へ、」

「は、」




5分後、だいたい全てがクリアになった。

この愛想笑いの一つもできない男の人は、西園寺家の二番目のご子息。名前は西園寺邦和。年齢は21歳。冷やかしついでに避暑に来たらしい。

別にお願いはしてないんだけど、飯塚さんはわたしの事もこの邦和に説明した。


飯塚さんが一通り説明を終わらせると、気分が落ち着くようにとお茶を持って来た。だから、部屋の中の小さなテーブルに邦和と向かい合って座るという状況に陥っている。


「ばあさん、何か食べるものない?」

「フィンガーフード程度ならございますが。」

「じゃあそれ、悪いけど持ってきて。」


そして小腹がすいているという邦和のせいで、わたし達はこの部屋に二人っきり。何だか談笑、って言うの?、お話…、みたいな、をしている。


「へえ、じゃあ、もしかしたら芙美花ちゃんが俺のお姉様になる可能性があるんだ。年下のお姉様って言うのもなかなか来るものがあっていいねぇ。」

「ご安心下さい、それはありませんから。」

「何で?兄貴がまかり間違って、芙美花ちゃんを選んじゃう可能性だってあるじゃん。」

まかり間違って、ってかなり失礼な表現じゃない。しかも口調も馬鹿にしている感じだし。


でもここは、庶民の意地を見せないと。いくら金持ちに馬鹿にされたって涼しく返すくらいの芸当はできるんだから。

「ないと思いますよ。だって、残り4人は本当に良い粒揃いですから。」

「へえ、そうなんだ。それは明日から楽しみだな。こんな何にもない所なんだから、目の保養くらいは出来ないとね。それにしても今回は頑張ったんだな、親父達。でも、当の兄貴にその気がなきゃどうにもなんないのにな。」

「ん、その気がない?、一樹さんてもしかしてゲイ?」

「ぶ、ははぁー、芙美花ちゃん本気で言ってる。」

わたしの素朴な疑問をご大層に噴出して笑っている邦和。なんだか更に馬鹿にされた感じがするけど、ちょっと思った。笑った顔は可愛いなんて。


だけど、次の日から知ってしまう。邦和は可愛くなんてこれっぽちもない。




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