作法教室

 

再び、九条珠樹




朝のダイニングルームに朝食が運ばれてくる。今日は昨日までとは違う数。なぜなら西園寺邦和が加わったから。


その邦和はというと、『貴公子』この言葉に尽きる。ってお嬢様学校だから、男の人のお坊ちゃま具合はよく分からないけど。何ていうの、昨日とは打って変わってスッキリと伸びた背筋に優しそうな笑み、きっと漢字一文字なら『凛』だな、きっと。まあ、それくらいしかこういう人に使う形容詞を知らないんだけどね。


食事のとり方だって、なんかうちのお兄ちゃん達の朝の犬食いとは全然違う。なんか、変な余裕みたいなのが滲んでいる。優雅なんだよね、たかが朝食食べてるだけなのに。そこがこう微妙に自分の生まれとか立場を顕示しているようで…ムカつく。

こんなことを一人心の中で思っているわたしって、一種の負け犬の遠吠え?



邦和が来たところで、残念ながら作法教室に予定変更はない。今日も今日とて、恙無くスケジュールが消化されていく。でも、聞いた話によると一樹が来る日は簡単な歓談会が催されるらしい。歓談会ってなんだろう、聞いたときはそんな素朴な疑問が生じたけど、平たく言えば1対5のお見合い導入部分なんだろうな、うん。


午後のお稽古が終わると、飯塚さんが今日はティールームで全員でお茶をどうぞと勧めてくれた。ここでの規則正しい生活のお陰で夏休みの課題も終わったし、まだ交流が少ない池ノ上静香さんとお話でもしてみようなんて思っていたら、『全員』の理由がそこにいた。


そう、邦和。

もしこの中の誰かが一樹と結婚したら義理の弟君になる人物。

邦和は優しく微笑み、全員をティールームに招き入れた。当たり障りのない話をしながら全員にさり気なく質問を繰り返していく。

きっと人物像を確認しているんだろう。そうそう、静香さんて名前の通り静かなんだよね。だから邦和の質問にもあまり答えてない感じ。遠目でみているにはちょっと楽しくていいや。


で、邦和はわたしへの質問はスルーした。なんだよそれって声を荒げたいところだけど、ま、どうでもいいよ。わたしは作法教室なんだから。


そうそう、珠樹は邦和に質問返しを色々していた。あの物怖じしない態度はさすがに一級品のお嬢様。だけど、途中から何かがわたしの胸の中に湧き上がった。






かなりどうでもいい事だけど、やっぱり放っておくのは忍ばれる。意を決して部屋をでたものの、あの珠樹と思うと…。

行ったり来たりの葛藤だったけど、最終的にわたしは珠樹の部屋の前に着いた。


—コンコン—

「石井芙美花だけど、」

扉の前で待つことしばし。少しすると珠樹が卒のない笑顔でわたしを出迎えた。笑顔を向けてくれているのは嬉しいけど、所詮作り笑いってやつで。


「石井さん、どうかいたしました?」

「うん、ちょっとね。もし良ければゆっくり話をしたいんだけど、いい?」

「勿論ですわ。お断りする理由がございませんもの。」

そう言って、珠樹がわたしを部屋に入れてくれた。


部屋の中にはたくさんのアロマキャンドル。金魚鉢みたいなのに浮いているやつとかもある。ついでにアロマランプも。

「今、ちょうどユーカリのアロマオイルを使っていたんですよ。呼吸器とかにいいらしいんですって。」


普段不適な笑みをわたしに見せる珠樹とアロマが、どうも頭の中で結びつかない。

「ところで、お話って?」

「ん、ちょっと気になってね。」

「何がですか?」

「あなた本当に理解している?」

「ですから、」

ちょっと苛つき始めた珠樹を制し、本当にどうでもいいお節介な話をわたしは始めた。


わたしが話し終わると、珠樹の頬に正しくつぅーと涙がつたった。ムカつく珠樹だけれど、その姿は本当に綺麗で吸い込まれそうだった。

「石井さんがおっしゃる通りかもしれません。」

「いいってば、そんな固い話方しなくたって。ただ、本当にそうだとしたら九条さんがあまりにも可哀想だと思ったから。」

「可哀想?」

「ん、だってあんたって見るからに恋とかしたこと無さそうだし。」

「こ、い。」

「そう。」


わたしは今日の午後の珠樹と邦和の会話から何となく気付いてしまった。珠樹は本気でこの作法教室の勝者になろうとしていると。だから、邦和に一樹の好みを色々聞いていたんだろう。

だけど、その表情には好意とか興味とかが全くなかった。義務のみ。わたしだって中学までは共学で人並みに恋をした。だから、その人の友達伝いに誕生日や血液型を調べては嬉々とした。すごく嬉しかったのを覚えている。


珠樹が勝利の為だけに、情報集めをしていると分かった瞬間なんだか居た堪れなくなった。可哀想だと。

色々話していくうちに、少しづつ本音を珠樹が話し始めた。両親にこの作法教室に参加するように言われた日のことだったり、そこでの役割だったり。ちなみに珠樹には弟がいる。(珠樹曰く、天使のように可愛いんだとか。本人の贔屓目があるから当てにはならないけど。あ、でも、残念だけど珠樹の弟ならあり得るかも。)その弟が将来九条家を継いだときに、力になれるよう西園寺と深いつながりを持つよう父親に言われたらしい。家督を継げない女のおまえに出来ることはそれだけだと。


会ったことはないけど、酷い父親だと思った。しかも、そこにはお母さんまでいたそうだから尚更悪い。

美人で金持ちで、その存在が自体が鼻持ちならない珠樹だったけど結構辛いもんだなと思った。


珠樹は溜まっていた何かを吐き出すようにしとしとは泣き始めた。自分でもびっくりしたけど、わたしはイスから立ち上がりそんな珠樹の傍に行き、何度も頭を撫でていた。

このときに見せた優しさが、今後のわたしの迷惑な日々を招くとも知らずに。


珠樹が泣き止むと、やっぱりこんなに弱っている珠樹は珍しいので意地悪がしたくなった。

珠樹は自分にないものを嫌うらしい。美人だし金持ちだし、大抵のものは持っている珠樹。だから、経験したことがない恋のドキドキ感をちょっと多めに着色して聞かせてやった。

「そう、まるで心臓が鷲掴みされるように苦しかった。でも、ばったり廊下で会うとそんなことからはすっかり解放されるほどドキドキしちゃって。恋って凄い。」


ついでにこの話もしておいた。話したわたしにも経験がないから、これまた着色が多めだけど。


「そうそう、凄いって言えば、初めてって凄く痛いって。死にそうなくらいみたいよ。そんな死にそうに痛い初体験を九条さんは好きでもない男に捧げられる。きっと、愛の力がないとその痛みを乗り越えるのは大変ね。」



ま、数年後、珠樹の死ぬほど痛いの相手は…、はあ。あ、わたしじゃないから。間違っても。




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